「四六乃窯」参画のみなさま おはようございます。の こんばんはの。おやすみなさい。っていうか、あれこれ「創作」のことを考えていたら 徹夜してしまいました。
そろそろ 寝ます。
この「四六乃窯ブログ」についても考えていました。
ぼくは、自身のホームページやフェイスやツイッターとかでも たまに書きますが。それぞれに なんらか 変えたいと想っています。もちろん、重複もあるのですけど。
「四六乃窯」サイトは、かなり 【偏って】も いいんじゃないかとかおもいます。
このサイトは コアな「おがたサイト」であります。「見たい人」だけが 見る 変質者的サイトです(笑)。
すでに 個人名連打で 「地平線会議」や「野宿野郎」を知らない方々は 戸惑っていらっしゃるかもしれませんが、かまわず 書きます。
えーと。「地平線会議」については 以下のサイトを ご覧ください
「野宿野郎」は以下
「谷中生産技術研究所」は以下
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今回添付の
この写真は、何軒かの画廊から返却されてきた 「おがた作品」たちです。これだけでなくて、まだ あります。
ここのところ数年間で 画廊が けっこう 店仕舞いしました。
ぼくの作品を 展示してくださっていたギャラリーも です。
関西だけで5軒 店仕舞いしました。これは、関西方面で ぼくの作品を展示販売してくれていた画廊の「全て」であります。
ぼくのような弱小零細美術家は、付き合いのある画廊が店仕舞いしたら もう 致命的な打撃を受けます。
現金収入皆無です。
店仕舞いの度に 作品が 返却されてきて。
まぁ「おかえりなさい」の 久しぶりの 親子水入らずの対面で それはそれで とっても楽しいんだけど。これだけ 多いと、梱包を解くわけにもゆかない(笑)。
まぁ、娘や息子に 「帰ってくるな」とは 言いたくない。むしろ 会いたい。だから いいのだけど。いいんだけど。ちょっと、これはマズイ(笑)。日本社会が マズイ。
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補足として、書きたいことがあります。
それは、
売れた作品が 帰ってきたことは ただの一度もないです。ということです。
ぼくは、販売の際には、買っていただいたお客さんに、必ず伝えることがあります。それは「作品が 気に入らない場合は、いつでも返却してください」ということであります。送料や 画廊のマージンは 返金できないけども、ぼくの「取り分の金額」は 必ずお返しするということも伝えます。
おそらく 嫁ぎ先で 愛されているのだな と 勝手に想っています。
さらに 補足ですが。
破損作品の蘇生のために、漆「繕い」もやっています。「作者に治してほしい」という お客さんが います。
蘇生というのは、たんなる「修理」ではないです。怪我をして、その前よりも また 新たな人生を獲得するようなこと。つまり「治すことは 創ること」ということ。ボンドや接着剤で ひっつけるだけじゃ 「世界は生まれない」と おもいます。
想像や創造を 劣化させないこと。医療と延命措置や福祉や…それらの差異が融合するような。
だれかが なにかが「生きてる」には、 生きてる意味や価値があると 思います。
それを 無視しちゃいけない。
創る人には それなりの責務があるとおもう。
「美術作品」というものは、必要な人が それぞれに それぞれのアーティストの ぞれぞれの作品に 出会って 向き合って…それで、どうしても 一緒に 自身の 家に 連れて帰りたかったら、そのときに 買えばいいと思います。
ですから ブティックの店員が、来店者に擦り寄って「お客様には この彫刻が お似合いですよ」などと すすめるものでは無いです。
そういう行為は、アンフェアだとおもう。美術を見に来る「人」を バカにしてるとおもう。人の感受性や好奇心や 自発や 自覚や 観察や…そういう人間の基本のことを 見下してはいけないとおもう。
まぁ、無農薬・無被曝の野菜を すすめるっていうなら ぼくも いますぐ できますけど。
アートっていうのは、そういうことじゃないから。
そこの 説明は ほんとうにほんとうに すごく むずかしいです。
あくまでも 主権は 発見者 出会う人 「その人」にあります。
だから、宣伝メディアに翻弄されないこと。
スマホやインターネットに拉致されない「アート」が 現実社会には 生きているということ。
地平線会議のかたがたは「長野亮之助」画伯の スゴさを ご存知でしょう?
ほかの 多くの日本人は知らないとおもう。ソーホーも長野さんを たぶん 知らない。
いゃ。こういうことを書くと。
スゴイ長野さんと ぼく自身を並列に言ってるみたいな、売名行為に読まれてしまうかもしれないけど。そういうことを書いているのでは無いです。
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ぼくは、地平線会議のかたがたと 出会えて 幸せです。ありがとうございます。
ふだんは、「一人」で 引きこもって仕事してる人間なので。人とどうやって「接触」したらいいのか わからなくなるときがありました。スーパーとかに行ったときに 値段とか聞くとか、そういう会話は もちろんあるけども。美術のことを考えたり 仕事に没入すると「対話」みたいなのが無くなってくる。彫刻のことを考えてると 寝巻きのまま外を歩いちゃったり、帰宅するのに 自分の家を通り過ぎちゃったりします。電車で 独り言を言ったり。
ぼくは、人を嫌いではないです。大好きです。
だから、ぼくと向き合ってくれる人たち。会ったら。地平線の二次会の「北京」とかで、なんだか おもいきり 話してしまって。一か月分の日本語を話して。翌日 声がかれてたり、あごが筋肉痛だったりします。変です。「人」が嬉しい。ナマに人と向き合う 喜びのあまりに 話しすぎてしまう。
その状況になかなか 慣れない。躁鬱の いったりきたりみたい。だけど まぁ、実社会での自然病棟だからいい。
地平線会議に さいしょに 行ったころは、みなさんおことが ぼくはすごく「怖かった」。ほんとうに スゴイ人たちばっかりだから。安東さんとか 坪井さんとか、目が合うのが 怖かった。自分が恥ずかしかった。ぃや 今もそうだけども。
安東さんなんか、目が合うたびに ニコニコしてくれて。逆に 恐ろしかった。
だけれども
みんな ぼくと 向き合って 話してくれる。
雲上から 下界へ 降りてきてくれる。
ぼくみたいな者と 対等に 話してくれる人が居た。
むちゃくちゃ 嬉しかった。
「地平線会議」「野宿野郎」「谷中生産技術研究所」…ありがとう!
こういうことを 書いても たぶん「地平線会議」関係のひとしか わからない。ぃや、地平線会議の人も わからないひとが 居るとおもいます。
まったく ごめんなさい。
なにを 書いてるんだか わからない人は
まぁ、追々 続きを 読んでください。
っていうか
ぼくも 書いてることが わかってないです。
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ちょっと 寝ます
おやすみなさい
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