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この部屋は 以前は、「展示室兼客間」だったのですが、いまは ちょっと混雑しています。

酔っ払って入室すると 作品を破壊してしまいそうです。蹴散らして ラッセルしながら歩くわけにもゆかないし。バランス感覚が必要。だから、作品置き場の3室は、ぼく自身も 用が無いときは 入室しないようにしています。

え~と。もう少し お話しすると、入室しないのは、混雑する以前からです。正確には 作品置き場ではなくて「作品の居場所」だからです。ぼくの部屋じゃないです。子どもたちの部屋。彼等の部屋。だから、あまり不用意に 勝手に入室してはならないです。

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ぼくの仕事場は、以前は、もっと広々と使っていて、劇団やダンス公演の仕事をしていたころは、スタッフやキャストらを呼んで、創作会議みたいな宴会のようなものを 開催していました。庭は 無農薬畑をやっていた頃。庭でも 焚き火で 土鍋カレー大会したり。楽器を鳴らしたり。穴窯をつくって 焼き物したり。燃料は 庭の伐採の木を使った。

関野吉晴さんの「循環の森」には、とうてい及ばないですが、そのような「場」を 目指していました。可能性の模索実践。小さな社会モデルのようなこと。

その後、ぼくは、入院手術を繰り返すことになってしまって。思うように なかなか 動けなくなって。

あぁ…。話が スベってしまう。

こういうことを 説明しだすと 延々と長くなってしまいます。

江本さんから、いっつも 「君の文章は 長すぎる」って 言われる。「ちゃんと読んでるから。だけど、こんなの通信に載せられない」って。すいません。わかってます。ごめんなさい。

まぁ、ぼくは、体が資本だと思って生きてきてるので。「体を資本」にして 仕事をしてたら 病気に成った。それだけです。

そこで、あれこれ 考える期間が持てたことは 幸せだと思っています。入院中は禁酒できたし。

それに、ぼくの病気なんてのは、たかだか 知れてるし。ちゃんちゃらおかしい。地平線会議の人と 話してると、ぼくは、いっつも 恥ずかしくなります。

入院手術を繰り返す経緯で

ヤッパシ「金銭を資本にして 仕事を組み立てていかなくては」自分自身が壊れてしまう とか、思った。

しかし、

そもそも、資本だなんて 言葉が間違ってる。

自分の体のことだけじゃない。「友だちは財産だ」なんて 言葉が イヤだ。

民主主義を置き去りにした 資本主義なんか なんの価値も無い。

気持ちの無い金銭を 受け取ってはならない。まぁ、それは、しんどいけど。

実在を創ってることを仕事にしてる自分としては、存在として社会に生まれてきた 紙幣や貨幣という「物」に 責任を感じます。

今は、物を 「想い」のほうが 追っかけてる。しかし、追いつかない。

それでは ダメだと思う。

既存の 「概念のバリエーション」に翻弄されてると思う。

こぉ、素材をバラバラにされて「創作料理」だとか 宣伝されて なんだか 「新しい」ものを 提供されているような気分に 出費してるうちに 次の「概念」を どんどん 提示されているようなのが 現行の日本社会だと思います。

まぁ、紙幣や貨幣という「物」であるうちは まだ いいかもしれないけど。

それが データとかカードに 移行してるし。

変化や移行を否定しているのではないです。金銭を否定してるのでもないです。資本主義を否定してるのでもないです。

ただ、民主主義と資本主義の併走を 本気で実現するのであれば 博愛・友愛が 不可欠だと思っています。

だから、ぼくは、「同情するならカネをくれ」っていうことには、断固反対したいです。

ぼくは、まず「同情」が必要・大切だとおもう。(笑)。

笑われるかもしれないけども。

とか、いうと 自分のことだと 思われるかもしれないけど これは「社会」のこと。

日本のこと。

だから、アーティストたちは、気持ちの伴わない金銭は拒絶するような勇気が ほしい。就職やバイト。買収。

そこで、忘れてはならないことがある。
それは、社会文化というものは、国策や企業や 文科省や 教育や報道や 画商がつくっているわけではない。ということ。

市民が創るのが社会。

創作家も ただの ひとりの社会人。ひとりの市民だ。
社会人には 社会を創り育んでゆく 当然の責務がある。
社会というものは 市民自身が プロデュースしてゆくものだと 思います。

だから まぁ、ひるんではいけない

    ◆

あ~

 とっても大仰だ。

自己鼓舞のために書いています。すいません。

これは 前向きに

前向きなことであります

自己鼓舞しすぎて 酸欠で 呼吸困難に 陥ったりします(笑)。

落ちて落ちて 踏み込んで踏み込んで バネのつもりが バネを 自分で 折っちゃうみたいな。

まぁ、ぼくは、モンベルのカタログを 眺めてるだけで 恐怖したり バテたりするような 軟弱な人間なのです。一枚の写真から 一日中 想いを めぐらすことができます。すごい時代。パソコンが怖いです。

だから、ぼくは、どうしても「手描き」の 手紙に固執する【必要】が 自己に生まれてきます。「引きこもり」ながらも、ナマの現実に 滞在し続けながら 創ること。

ぼくの 細かい文字の便りを 受けとるかたがた ごめんなさい。

っていうか

「四六乃窯」の首脳陣の 丸山さん 武田さん 長野さんは … ぼくの 自筆吐露の 被害者ですが。すいませんです。

   ◆

ぅわ。長い。

これは、だれも 読んでくれないブログに成るかもしれません。

丸山さんが せっかく つくって くれたサイトなのに。

丸山さん、ごめんなさい。

   ◆