昔、生活(現金収入獲得)の為にバイトで 「雑誌の挿絵」を描いていたころの原画が たくさん 出てきました。
これも なかなか 恥ずかしいものであります。
自分自身では なんかもう 自分の消えない過去だし しょーがないし ぁあ…「やっちゃったな~・自分」って回想するのみ。ぁ~あ。
それは … … それなりに 懐かしいけど。
本業本職本道の 彫刻を放ったらかしにして カネ稼ぎに 逃げてしまった。ヤッパシ 「無一文では生きれない」「無一文では 彫刻の勉強を深められない」…という 現行社会とは 向き合えなかった。対抗できなかった。
やっぱり 仕事よりも「生きる」ことを 優先していた。
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保存が悪くて 紙面が汚れ痛んでいる。
可哀想だ。
これらも すべて ぼくの 子どもたち
描くときは 楽しく おもしろく かなり 喜びつつ 描いていました
なにをしていても 「自身のアウトプット(表現)」は 「作品」だから。です。
これらの原画の流れは 「透明水彩・インク」と「不透明なアクリル」の 融合を 試みていた感じです。輪郭は 太さを換えたボールペンだったと思います。
そのような技術的な変化というか 作業効果的な「おもしろさ」みたいなのが併走しないと 『やる気』みたいなのが 連鎖してゆかないというのでは ダメでしょう?
ミュシャ展が地元であったので一昨日(3月28日)見てきました.
そして緒方さんのブログを見て,美女をイラスト風にすっきりデザインしながら,どこかなまめかしい雰囲気を感じさせる表現が共通するなと思いました.
全く偶然に,ミュシャを見た後,緒方さんの雑誌のイラスト見させていただいたので,コメントを記述いたしました.
ミュシャは現代に生きたら,どんなポスターを書いたか調味あるところです.
きたさん
こんばんは 地平線会議では、いつもありがとうございます
ミュシャ すばらしいです。
むちゃくちゃ カッコイイ。
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緒方は 見てのとおり ほんと未熟でありますが、どうぞ よろしく お願い申し上げます
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