ぼくが、この小説と出会ったのは、1990年代初頭。
仲間のパフォーマンスアーティストにすすめられて読んだ。おもしろかった。
中でも以下の一節を 気に入ったのでした。
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『ある人々は人類を愛すると言い、また他の人々は、単一体つまり個々の人間としてしか愛することができない、と言ってこれに真っ向から反対する。私はそれを認めるが、愛についてあてはまることは、憎しみについても同じであることも、付け加えておきたい。バランスを渇望する存在である人間は、憎しみの重さによって、宿命的に担っている悪の重さとのバランスを保っている。だが憎しみを、諸原理の純然たる抽象性に、不正義に、ファナティシズムに、残虐さに向けて見よ、それとも憎むべきは人間の原理自体だという考えに到達したならば、人類を憎んで見よ! こうした憎しみはあまりに超人的なので、人間は自分の怒りを軽くする為に(自己の力の限界を知って)、結局はいつも怒りを個人だけに集中してしまうのだ。』
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好きな言葉なので その箇所の写しがあったのだけれども いま仕事場を探しても見つかりそうも無い(この仕事場で探し物をするには、そうとうの気合が要る)ので、
7月に 母親の様子見で帰省したときに 図書館へ行ってコピーしてきました。
ぼくは、クンデラの極論的な表現が好きです。大仰というか。日常の今此処の個人的なできごとが、国家や政治的なことにまで照らして描きあげられてしまう…ような。っていうか、そーか、クンデラの影響だったのか?自分の「大仰」は(笑)。いや、もしかしたら クンデラは、逃げて逃げて 「逃避(うしろめたさ)の口実」が 作品だったのかもしれない
クンデラの創作表現の背後を知りたい
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この小説は 友愛のはなし
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とても 人を愛しく想えます
一読を
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