「創る」ということについての、私感を書きます。

前回、「豊かな表現力」を身につけることと 作品を「創る力」は、違うという風なことを ちょっと書きましたが。
別の角度から説明をしてみます。うまく 言語化できないのだと思うけど。

表現力というのは、訓練やトレーニングとかでも獲得できると思っています。しかし「創る力」というのは、訓練や教育では、なかなか体得できないような気がしています。(ここは、前述と同文)。

むしろ、練習や勉強から すっかり離れて、遊んだり、料理をつくったり、本を読んだり、漫画を観たり、一日中ごろごろしてたり、ボンヤリしたり、眠っていたり、山を歩いたり、海や空を観たり、好きな人とお話をしたり…そのようなことが、人の体内の「創る力」(想像力)を 支援してるような気がしています。
一見、作品創作から離れるようなことが、創作力を養ってるような気がする。

だから、作品のことを 考えたくないときは、考えなくていいし。やりたくないときは、やらない。
どうしても、やらないといけないときは、無理せず、しんどいままに「しんどい感じ」で やる。
自身の気持に正直に、そうしていないと、おもしろくないことが「おもしろくない」と感じる感性が、麻痺してくる場合があります。それこそ 恐ろしいことだとおもいます。特に創作家にとっては。

もちろん、「こだわり」「しつこさ」「周到徹底」に 作品創作がささえられるときもある。
自身のこだわりに疲れたら、一端、こだわりから離れるために、ぜんぜん別の「遊び」みたいなことを してみるのも良いかもしれないと思っています。その「こだわり」が、自身に必用なものであるのであれば、なにを どうしたって、いつの日か、その「こだわり」に 自分は戻ってくると思いますから。

各人が、マイペースを大切にして、自分の気持ちを優先しながら、創って行くのが良いと思います。
だれにでも個人差がある。創作というのは「個人差」の賜物。

大切なのは 自身の「個人差」を自覚すること。基点。
そこから ようやく イメージの一歩