写真は、北斎画の「桔梗に蜻蛉」絵葉書のママ複写(ぼくが、描いたのではないです)
以下は、自分の勝手な解釈
◆
桔梗は、秋の七草
赤とんぼ(ナツアカネ)は秋になると真っ赤に色づく
赤とんぼの右前翼(後縁)が 少しだけ欠けている。
このことで、絵画への感情移入がしやすくなっている。このとんぼへの親近感というか。絵画風景への導入。鑑賞者は、招待されている。鑑賞者の「想像」は、物語を育む。
晩秋であること。秋も深まり 桔梗の盛り 肌寒い日も増えて 人々はやがて冬支度…とか、いろいろ想い巡ることができる。空気の流れや温度や湿度までも 想像してゆく。絵は、いつまでも飽きず 止まることを知らない。
「想像する気持」を解放する 糸口になっている。これも、北斎の「ほころびの妙技」だとおもいます。
ちょっとした「欠け」が かっこいい
全体絵画の密度に合わせた ギリギリの度合いで 「ほころび」を挿入している。これ以上のほころび加筆では 「とんぼイメージ」は、画面バランス内でズタボロ(絵画内瀕死)に陥ってしまう。それでは、別の感情移入(過度の個的同情)になってしまう。鑑賞者の自発の物語を狭ばめ限定してしまう。
また これより小さな欠けでは 欠けとは判別(意味)できない。
ほころびを あっさり きりっと 描いている
冗長度(たとえば、余白と描写のバランス)を失わずに 画面内密度を高めてゆく。
品格を失わないままに 冗長とほころびを 画面風景(生活)に生かす
絵画と向き合った鑑賞者の想いは、飽きることが無い
(たとえば 西洋絵画のパースによる確定遠近法ではない) 想像世界(想い)の奥行き 深さを どこまでも拡大できる(思考パース感性を活性)。北斎絵画(浮世絵)の 素晴ら式だと おもいます。
こちらをうかがう とんぼの目線が 北斎先生が「どうだ?」と言ってる ようだ
おそれいりました って 感じであります
すごい!「完璧です 先生っ」
「ぃや 完璧に描いてはダメなのだよ」と また 怒られそうです
◆
ちぇ
ガックシ だめだ 無学 自分 芸術家には なれない
うっとり すごいな~~
◆