蟹。ぶろぐ

彫刻創作は、時間がかかります

「彫刻を創る」ということが、どれほど大変なのか(笑)、ということを大仰に描こうとおもいます。

 

たとえば、この蟹を創るときには、少なくとも一ヶ月くらいの連続した時間が必要でした。
極端に云うと、毎日「蟹」のことばかりを想い考えてる期間。他のこともしますが、「蟹を創る」ということが、その一ヶ月のあらゆることを優先します。要するに 脳も目も手も、自分全体が 常に「蟹ばっかりをやる」ってことです。丸ごと「蟹に没入」する。そうでなければ、創れないです。

 

腐らさないように冷凍庫に保存しながら創ってゆきます。一日、3時間か4時間くらい。これは「集中力」の限界です。まぁ、解凍と冷凍のバランスも ちょうどその時間くらいがよいみたいだけど。外気に触れる時間が長いと腐ってしまうので、とにかく「集中力」を高めてから冷凍庫からサッと出して すぐに制作に入るようにします。
かなりヘトヘトに成ります。何日も続けられない。たまには、町に出たり気晴らし。だけど、2日とかは空けられない。なぜかというと、作品によって「制作のリズム」があって、それを体が忘れてしまうと、作品に復帰できないから。数日で仕上げてゆけるカンタンな作品なら よいのですが、蟹とかは、「蟹を生んでゆく」積み重ねの流れのようなリズムができてくるので、そのリズムの中から自分がはみ出ない程度に「気晴らし」をするということです。そうでないと途中から始められない。たんなる遊びでは無くて「蟹を創りつづける」為に 気を解放するのです。ぃや たしかに遊びなのだけども~。
なので、長期創作作品の創作中は、余計なこと(行動)は、なるべく回避します。日常の掃除とか洗濯とか炊事とか。「我慢可能」な範囲のことは、やりません。だから、普段から散らかってる部屋は、むちゃくちゃに散らかってきます。そういう散らかりは、どんどん台所とか玄関へ、押しやってゆきます。仕事場の「創る現場」だけが ポッカリ空間が空いてるような状況に成ります。プランの机は、パソコンの画面とキーボードだけが表出してる状態で、その周りはメモや文具の山という感じ。要は「蟹さえ死守」できたらオッケーのモードに仕事場が成ってゆきます。日々、とにかく「蟹」です。
おおげさですが、その期間中は、「蟹を創ってる」リズムを中心に自分は 生きます。完成間近に成ってくると、なにか自身の創作を長期中断する「何か」が起きないかと云うことがもっとも心配です。そういうことがあると、すべてがオシマイです。
完成間近も「蟹を生み出す」リズムは、初日から、ただの一度も途切れずに連続更新されています。デフォルメ(自流比喩のようなこと)のリズムが細部にも共鳴しています。そうでなければ、作品として「活きない」から。ただ、描写して密度を上げてゆけば 創れるということではないので、そこが、「生物(静物)彫刻」の一番難しいところです。カメラのように創っていたのでは、本物(現物・モデル)に「生命力」みたいなところで、敗北してしまうのです。そっくりそのままに創ってるのではないということです。「自分流の形」に変換しながら創らないといけない。だから、描写の密度が上がれば上がるほど、集中力や緊張感も高まって、自分も「蟹に成ってる」(笑)みたいな日々です。作品の中に入って、粘土の内側からモリモリ創ってる感じです。

 

ずいぶんと年月が経ったあとから、思い出して書いてるので、こうやって楽しみながら書けていますが…実際に創ってるころを思い出すと、完成した直後とかは、もう、「二度と創りたくない」って気持に成ります。数年間、蟹は創れなくなります。創作「期間」を準備するだけで、メゲルというか。充分な生活費とかが保障されてるならいいかもですけど。蟹を創る一ヶ月は、バイトなんか絶対にできないし。佳境に突入すると自力の作品販売や宣伝も中断しなければならないし。ほんとうに「蟹」「蟹」「蟹」…でなければ、誕生しない作品なんです。イヤです、しんどいです(笑)。

 

それでも、まぁ、「蟹」とかは、現物が現実社会にあるので、まだ「創れて当たり前」の彫刻です。蟹がこの世から絶滅しない限り、目前に「モチーフ」があれば、彫刻家なのであれば、ふつーに創れなければなりません。基本。
そこで、「じゃぁ、創ってよ」と言われて、「おっけー」って、軽く了解することが、なかなかできないということです。すごく 大変なので(笑)。まぁ、だから「大変なだけ」なんです。
何の生活保証も無い。長期創作へ行くのが怖いです。実力としては創れます、だけど、食えなければ 死んでしまいます(笑)。

 

蟹とか貝とか野菜とかを 彫刻のモデルとして選びにゆくときは、自分の美術感的に「よい」ものを選びます(食材として選ぶ時はは、大きいのを買いますが)。だから、自分の想い描くような ピーマンが無かったら、買わない(笑)みたいな感じ。だから創作モードに入ってる「自分(オガタ)」は、他から様子を視てたらわからないとおもうけど、頭の中は変です。ぜんぜん、違う視点とか価値観で 日常風景を見てたりします。

 

で、
話を戻すと。
「建物彫刻」とかは、この世に無いものを、想像してから創るので。ある意味で もっと 大変です。先日の「島の小学校」とかです。まず、自分の頭の中に「世界(風景)」を創らないとなりません。その期間が すごく長いです。これは、もう、本気で「そのことだけの年月」なんか、とてもじゃないけど、獲得できたことが無いです。ほんとうは、「そのことだけ」想って生きれたら至福だけど。それは、いまの日本社会が許さないです。悔しいけど。それが現実。日本の美術家に自由なんか無いです。
そこが、「蟹」どころでは無い、難しさということです。もっと長い「創作期間」が必要。「創作だけ」に集中できる期間。
寝てるとき、夢で「うつくしい街」「すばらしい建物」をみることがよくあります。創りたくて創りたくて しょーがない。けど、もう、何年間も その自由は ぼくには無いです。
先日、書いた「屋久島灯台」は、現物があります。ぼくは、初めて、現存する建築を創ろうとしています。これは、もう、苦肉の策です。しかし、それを、現物のままに創っては「彫刻」作品には成りません。この意味は、「蟹」の創作経緯と 重なるところです。そこを自覚的に考えなくてはなりません。でも、丸っきり空想から物語を描いてゆくよりは、ちょっと楽な感じ。ほんとうの自分の世界観の「建物彫刻」を創るための、ステップに成れるかもしれない。
「ぼくの想う 屋久島灯台」を 建てるにふさわしい場所を 「自分の世界観の中に歩み入って」、探しに行く、みたいな感じ。「屋久島灯台」(実存)に 自己の想像の「友」として 協力してもらおうという感じです。
つまり、そのことによって、「創作期間の意識(リズム)の分断」を補完できるのではないだろうか?という考えです。

 

このように、美術家たちは、創作への集中力を維持更新するために あらゆることを活用してゆきます。
「屋久島灯台」と、ぼくは、実際に人間の友だちによって繋がっています。その友だちとの出会いからいままでのいろいろを 想いだすことによって、ぼくは、がんばることができます。今日は元気かな?どうしてるのかなとか。勝手に想うことで、勝手に「世界に入って」ゆけます。そして 生還できる。「想像」という、どこにあるのかわからないところへ自身を放り込んでも、現実世界と繋がってること。還ってくるところが ナマにリアルにあること。
これは、モチベーションというよりは、ほんとうに「集中力」の広がりや深さのことだとおもう。うまく言えませんが、「彫刻」創作ということは、技術(技能)があるから、さっさと行為すれば、必ず成せるということでは無いです。
集中力が高まれば高まるほど、リラックスも充分に維持していなければならないです。ヘラヘラふにゃふにゃしながら、周囲の全部の状況を把握してるような感じ。野生動物みたいな感じ。人間社会に同化しながら「自分が何者であるかを決して忘れない」猫みたいな感じ。緊張に 押しつぶされたら敗北。無理やり笑ってもダメ。空を飛んでる鳥が、いちいち羽根の動かし方を考えないでしょう?そういう感じ。状況判断を考えてから翼を操作していたのでは、世界中の鳥は、墜落すると想います。創作の順風には タイムラグが無いです。
このことは、頭で考えてると 「すごく難しい」です。
だから、「そこ」に 自分自身を なんとか 運びこむわけです。その工夫力。それが「創作」ということ。
しかし、かんたんではない、あれやこれやと、考え悩んで、工夫努力してたいがい失敗する。しかし、ある日、あるとき、創作の そのモードというか気流というか、作品創作の「流れに乗った」という 確かな自己体感を獲得(無意識自覚)することがあるのです。風を待つとか、波を待つとか。同時に 自分自身でも 周囲の環境を読む。すべての触角は鋭敏に解放されている。
そして、気流に乗ったときの「快感」といったら ない。すばらしいよ。って、これも、あとからだから、楽しく書いてるけど。

先日、江戸・明治のころの工芸芸術のことを書きましたが、この「蟹」を創っていたころは、ぼくがもっとも、彼ら(江戸職人)に接近できていた時期だとおもいます。いまは、とてもじゃないけど、時間が持て無いです。残念です。悔しいです。
最接近ですが、それでも、ぜんぜん不足です。及びません。「ある程度までは イケル」、それだけ。それでは、ちゃんちゃらダメです。この程度では 芸術家とは言えないとおもいます。
日々を「生きてること」そのものが現金収入に成らない限り勉強(創作「世界観」没入)に集中する時間が無いです(笑)、現行日本での美術家は、なかなか成長できないとおもいまーす。
ぼくは、仕事を怠けたり 人生をサボっているのでは けっしてないです(笑)。

かつて 日本の芸術家たち(文化)が 世界一だった時代(社会・くに)があったのです

すいません。
なんか、もー、やけくそ みたいな投稿になってしまいました。

 

寝ます

 

朝。鳥が鳴いてます。

 

おはよーの おやすみ