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今回、梱包材に使用したのは、雑誌「週間金曜日」のバックナンバーです。
ぼくの仕事場(創作工房)にあったものです。創刊当時、画期的だと思いました。「日本も ようやく ついに」みたいな。
広告を一切うけない。「自立したメディア」。ぅわ スゴイって思いました。
当時は500円だったかな。
なのに、「薄い」(笑)。っていうか、『だから 薄い』っていうことなんだけども。
けっきょく 読み込んでいくと、内容が深い。世間の安くて分厚い雑誌よりも、読める。そして、「考えさせられる」。「自分」って 何なん?みたいな。「自己に立ち返る」ヒントに成る雑誌だった。
常に「自己の(世界観と その旅など)起点」に立ち返ることが成せること そのことは、創作家にとって とても重要なことだと ぼくは、思っているので、とても 励みに成る雑誌でした。
(地平線会議の通信も 薄くて内容が濃いですね)

梱包しながら つい 読んでしまいました1990年代の自身を 思い出しつつ。
どうだったろうか?
ぼくは、三重県の海辺の村で アートイベントを主宰していました。三年間続きました。さまざまな経緯があって、いちおう区切り。もちろん、いまも、連絡しあっています。
関東の大学生とかも参加してくれていました。アート優先というよりも、まぁ、交流会みたいな感じを継続する感じ。
当時は、まだ、芦浜原発反対運動が続いていた。芦浜原発反対運動は、日本最古(笑)の原発立地反対運動です。笑い事では無いのですけど…。
反対派の議員さんに来ていただいて、アートイベントの仲間で お話を聴きました。シンポジウムみたいな大きな会場ではなくて、ふつうの家の 畳の部屋です。六畳くらいかなあ。聴く側も ほんの数人なんです(笑)。
しかし、少ない人数だからこそいい感じもあります。原発推進派からのイヤガラセとか いろいろ話を聴くことができました。普通に 友だちとご飯を食べてるような感じの距離で向き合って 話すことができます。ぼくとしては、善かったと思っています。
地元の人からは 尾鷲の火力発電所関連のこととか、山林のこととか、いろいろ、聞けたし。現場も行けました。原発反対派の魚屋さんと 何年か行動を共にしていたので、別の原発候補地も見に行くことができたし、さまざまな方々といろいろと、話し合うことができました。
しかし、せっかく視たこと教えていただいたことを ぼくは生かせたのかどうか?。まったく できなかったとおもいます。幼稚無能です。此処(46ブログ)には、いろいろ詳しく書いても つまらないと思うし、書きませんが。
ただ、自分としては、懐かしい年代であります。梱包しながら、あーだこーだ 「自分の悔い」を 思い出すということです。後悔なのに「懐かしく」思い出す ということは、ほんとうに 善くないことだと 思います。

あー、でも、芦浜原発は、中止になって ほんとうによかったです。

自分は、なにも できてないと おもいます。
いまも、ひたすら ぼくはダメです。

みなさまの1990年代は、どうだったのでしょうか?
いま その「想い」は、どういう世界を 飛んでいるのでしょうか
飛行は つづいていると おもいます