1405北斎鉛筆2

これは
北斎の「絵本」(作画教本の図録)を 視ながら 鉛筆で てきとーに描いたものです。フニャラです。

江戸時代の浮世絵関係者たちは、パソコンやフォトショップやスキャナやプリンターを見たら どのように感じ想うだろうか?

叩き潰しただろうか?

恐怖だろうか?

 

それとも、浮世絵関係者たちは、さっさと パソコンを導入したでしょうか?

ぼくは、それは ぜったいに「ありえない」とおもいます。

 

そのことについて 国策側も 充分に配慮対応したとおもいます。

 

たとえば、刀職人たちが 刀を創らなくてよくなってしまった社会では、工芸が磨き伸びました。そのことに日本の国策(政府)そのものも尽力しました。それは、現在の日本国策のように たんにカネ稼ぎ(円価値維持)の為の雇用をつくるという形骸的な対策では無いです。
善い社会を育んでゆくために「大切なことが なんであるかを 知っていた」とおもいます。
日本の生産思考は、フォーディズムとは ぜんぜん違うところを起点にしているとおもいます。(っていうか、いまどきフォーディズムとかいう言葉そのものを死語と云う人も居ますが)

 

そのことの参考までに お知らせしますが
いま、三井美術館で 興味深い展覧会を開催しています。ぜひ 足を運んでみてください。(ぼく自身は、まだ行けておりません。なんだかんだ忙しくてっていうか 日々の段取りが悪くて時間をつくれない。たぶん、一日がかりに成るとおもうし。まぁ視たら ぼくは、打ちのめされ 凹み 落ち込むのだとおもうけど。はやく視たい。先生たちに会いたい。)。
http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index.html
データ電脳戦略に「人力が勝利」(共存共生)するには、実際的にどうしたらよいのだろうか?
その参考が 本展覧会で得られるかもしれないです。

ぼくは、仕事ということは
誇りや魂だとおもっています。

 

創作(想像・創造)ということは 「魂の労働」であると おもいます。

 

ぼくたち(人間)には、忘れてはならないことがあるとおもいます。失ってはならないことがあるとおもいます。棄ててはならないことがあると思う。継承せねばならないことがある。蘇生せねばならないことがある。
人間は、ほんらい 想像的・創造的な 生き物であるとおもいます。

 

だから やっぱし 「時間を大切にしたい」です。
観察と 一生懸命考えること それは 愛の一種だとおもいます。
愛(想いや考え)を置き去りにした機能(実力)に いったい どれほどの価値があるというのでしょうか?

 

って、書くと やっぱり 笑われてしまうんだろーなーー。

 


技術や道具の導入や変化に 「魂や誇りが同行」すれば 善かったとおもいます。
なぜ そうしなかったのでしょうか?
なぜ そのようには できなかったのでしょうか?

「現在の日本」の 経緯の背後には なにがあったのでしょうか?

今の国策のまま 社会を善くするということは 国民全員が万能(マルチ)に成るしかない。しかし、その実現の前に 寿命が来て 死んでしまう。
どうしましょうか?
200歳くらいまで 生きることができる「何か」を 国策が考えましょうか?(笑)

 

ぼくは、江戸などの この「日本」自身の経緯から 学び知ることは 多いとおもっています。
もちろん、江戸時代には もどれない。昨日にだって だれももどれない。
だけれども、その「知」を 今の自身の内部に活かし、そのことを社会に具体的に活かすことは じゅうぶんに成せるとおもっています。
少しずつ 少しずつ 一歩一歩。

 

江戸は すぐ身近な地続き。
手繰り寄せるまでもなく 繋がっている 現実(現在・今)