これは
北斎の「絵本」(作画教本の図録)を 視ながら 鉛筆で てきとーに描いたものです。フニャラです。
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江戸時代の浮世絵関係者たちは、パソコンやフォトショップやスキャナやプリンターを見たら どのように感じ想うだろうか?
叩き潰しただろうか?
恐怖だろうか?
それとも、浮世絵関係者たちは、さっさと パソコンを導入したでしょうか?
ぼくは、それは ぜったいに「ありえない」とおもいます。
そのことについて 国策側も 充分に配慮対応したとおもいます。
たとえば、刀職人たちが 刀を創らなくてよくなってしまった社会では、工芸が磨き伸びました。そのことに日本の国策(政府)そのものも尽力しました。それは、現在の日本国策のように たんにカネ稼ぎ(円価値維持)の為の雇用をつくるという形骸的な対策では無いです。
善い社会を育んでゆくために「大切なことが なんであるかを 知っていた」とおもいます。
日本の生産思考は、フォーディズムとは ぜんぜん違うところを起点にしているとおもいます。(っていうか、いまどきフォーディズムとかいう言葉そのものを死語と云う人も居ますが)
そのことの参考までに お知らせしますが
いま、三井美術館で 興味深い展覧会を開催しています。ぜひ 足を運んでみてください。(ぼく自身は、まだ行けておりません。なんだかんだ忙しくてっていうか 日々の段取りが悪くて時間をつくれない。たぶん、一日がかりに成るとおもうし。まぁ視たら ぼくは、打ちのめされ 凹み 落ち込むのだとおもうけど。はやく視たい。先生たちに会いたい。)。
http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index.html
データ電脳戦略に「人力が勝利」(共存共生)するには、実際的にどうしたらよいのだろうか?
その参考が 本展覧会で得られるかもしれないです。
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ぼくは、仕事ということは
誇りや魂だとおもっています。
創作(想像・創造)ということは 「魂の労働」であると おもいます。
ぼくたち(人間)には、忘れてはならないことがあるとおもいます。失ってはならないことがあるとおもいます。棄ててはならないことがあると思う。継承せねばならないことがある。蘇生せねばならないことがある。
人間は、ほんらい 想像的・創造的な 生き物であるとおもいます。
だから やっぱし 「時間を大切にしたい」です。
観察と 一生懸命考えること それは 愛の一種だとおもいます。
愛(想いや考え)を置き去りにした機能(実力)に いったい どれほどの価値があるというのでしょうか?
って、書くと やっぱり 笑われてしまうんだろーなーー。
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技術や道具の導入や変化に 「魂や誇りが同行」すれば 善かったとおもいます。
なぜ そうしなかったのでしょうか?
なぜ そのようには できなかったのでしょうか?
「現在の日本」の 経緯の背後には なにがあったのでしょうか?
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今の国策のまま 社会を善くするということは 国民全員が万能(マルチ)に成るしかない。しかし、その実現の前に 寿命が来て 死んでしまう。
どうしましょうか?
200歳くらいまで 生きることができる「何か」を 国策が考えましょうか?(笑)
ぼくは、江戸などの この「日本」自身の経緯から 学び知ることは 多いとおもっています。
もちろん、江戸時代には もどれない。昨日にだって だれももどれない。
だけれども、その「知」を 今の自身の内部に活かし、そのことを社会に具体的に活かすことは じゅうぶんに成せるとおもっています。
少しずつ 少しずつ 一歩一歩。
江戸は すぐ身近な地続き。
手繰り寄せるまでもなく 繋がっている 現実(現在・今)
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