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この写真は、窯場である「陶芸教室」の 作品棚の一部です。

此処でも ぼくは「圧倒」されました。

「負けた」感。

そして、いつもの気持。芸大に在学したとたんから ずっと「感じる」気持。「自分は ずっと 間違っていた」という自覚。そして、「もう、こういう作品は 自分には創れないのだ」という残念。自分は自分を、強制的に調教してきた。「巧くなりたかった」「描写力を身につけたかった」…そして、それが芸術だと思い込んでた(笑)。そのために「自分を棄てた」みたいな。「魂をなにかに売ってしまった」ような。ほんと 自分って、アホみたいじゃ~~。みたいな。

まったく 自分に 脱力です。

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同時に 「かわいいなー ほんっと かわいーなー」って おもう。

ありがとう。よく 現実に 「生まれてきてくれた」ね。そう 此処に。ぼくの生きてる時代に。ぼくの生きる日本に。すれ違わずに きみたちに出会えた 喜びにひたるよ。ひたすら「ありがとう ありがとう」っておもう。

また 会おう。

また ぼくに お知えてほしい。

「きみたちに 聴きたいことが ぼくは たくさん あるんだ」。

この彫刻たちは、ビエンナーレとか 画壇だとか、有名公募展だとか、美術本だとか、国営放送の芸術洗脳番組とか、なんとか大賞展覧会とかに並ぶことは おそらく無いだろう。

だれにも 観られることを意識しない 媚びることの無い そういう ひっそりとした静かな 活き活きこそが 人を 勇気付けることができる。

気高い。

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見よ。この 凛とした毅然とした 姿を

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此処には 想像・創造の 起点がある。

こういう 想いを 置き去りにして 技術だとか技法だとか技巧だとか、道具だとか機械だとか、言うなんて。もー ちゃんちゃら おかしー。

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ぼくは、いままでに あちこち いろいろな 陶芸教室に お邪魔しています。

そのたびに ぼくは、 感動しております。

そのたびに 打ちのめされ 圧倒され

ああ、「作品」って いーなー っておもう。「創る」って いーなーって 思う。

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芸大なんか 要らない

だって 冒険大学なんか 無いじゃん

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