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窯場の陶芸教室のみなさまのモチベーションに圧倒されました。
世界で「創る」ということに 向き合ってる人たちの だれもが はらんでいる気配なのだと思います。
この気配というものは、先生も生徒も素人もプロも陶芸家も美術家も芸術家も子どもも大人も…そういったことを 度外視した「圧倒」です。
ある意味で 人間の本性というか。好奇心なのか。関心・興味への熱のような。
集中のただなかに居る人の姿。それも、リラックスしながら目前・周囲をタイムラグ無く理解してる。これは、自然界の動物みたいな感じ。だから、ヤッパシ 「創る」ということは 本能に近いところが起動してるんだと思う。
真摯な ありのままの人間。
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そのような空気に ぼくは 一瞬 ひるみかけた。ぃや 実際に ひるみました。
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同時に 敗北感・劣等感・罪悪感。
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だけれども、落ち込みながら ぼくは「このひとたち すてきだ」って 感じた。カッコイイ。
ぼくも、できるなら こういう人たちになりたい。なんとか 仲間になりたいって思った。此処の側に 居たい。って 思った。軽薄かもしれないけど。すいません。
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ぼくは、三年間も、「本焼き焼成」の現場から離れていた。こういうことは、25年ぶりくらい。っていうか、焼き物で彫刻を創り始めてから、一ヶ月も窯と離れるなんてことはありえなかった。それが3年っていうのは、これは、「辞めた」も同じことじゃないだろうか。未体験の空白。
いま、「創る」ということに まさに まむかっている人たちの前で 作品を出すのが とても恥ずかしかった。
汗が出た。
窯場の先生とも ぼくは、ちゃんと話せただろうか。
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すべてが「いちから」という感じです
基本って なんだったろうか?
起点は どこだろうか?
「創る」って なんだったろうか?
ある意味で とても新鮮です。
怖いけど。ほんと「ちょっとしたことが怖い」(笑)。窯場の道具とか見て「ぁれ? これなんだっけな」とか考えたりする自分。そこで、一方で「聴くのは恥ずかしい」と思ってる自己。だけども、わからないことは、聴かないとダメだ。やっぱり、ちゃんと 起点に立ち戻って スタートしないといけないと思う。作品を遭難させちゃ いけない。
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ぼくは、世界の「なにも知らない」。
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・補足・
写真は、写っている方々の許可を得てネット公開しております
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