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創作(世界観への旅路)は すでに 開始(起動)されている
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創作の起動に 本人自身が気づくかどうかは あまり問題ではないみたい
「創作」が 体内で始まることが 重要というか大切
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そこらへんのことが、ぼく自身が、よく把握できていないです。「自分」の構造が、理解できていないです。
たぶん、そういうことが 「感覚的なこと」ということの 一部なのかもしれないです。
そういうことを、自覚することが必要なのかどうかとか。その自覚を 言語化して 執筆せねばならないのか?
ということについては、ぜんぜん わからないです。そういうことを 熟考できない。
っていうか、それって「何のために?」って おもう。
それって、ズレてないか?
それが 作品なのか?
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創作の起動の自覚は、「創作」に必要でしょうか?
そういうことは、かんがえるのも 意味ないとおもう
「どっちでもいい」
たぶん
自分「スイッチ入った」 みたいなことでしょう?
そういうのって 長旅には あんまし 関係ない
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