ぼくは、たとえば断捨離された側(物や者やことがら)に興味があります。
人たちが忘れたこと捨てたこと無関心のこと孤立淘汰されることを 拾ってゆきたい

たとえば、どういうことを 考えるかというと

早いことより遅いこと
上よりも下
前よりも後ろ
快よりも不快
美よりも醜
善よりも悪
解放よりも閉塞
ポジティブよりネガティブ
好かれている人より嫌われている人
プラスよりマイナス
凸より凹
楽より苦
正常より異常
有名より無名
不屈より卑屈
昇格より降格
就職より解雇
合理より冗長
便利より不便
希望より絶望
勤勉より怠惰
優位より劣等
網羅より欠落
画一より混沌
直進より迷走
平均より雑多
常識より偏向
裕福より困窮
繁栄より没落
勝利より敗北
快晴より悪天
飛翔より墜落
賢より愚
表より裏
明より暗
陽より陰
新より古

宮本常一さんも「進歩よりも退歩」へ眼差しを向けている

それらのことごとに ある程度接近し 寄り添っていなければ 探究は不可能だとおもいます
現行社会から切り捨てられ疎外孤立消去削除淘汰されること マイナスイメージに対して親身になること

たとえば、現行社会で
好まれていることがら よりも 嫌われていることがらに 寄り添うような

ネガティブのさらに下方に「オガティブ」という領域を設けているのは、そのため(笑)
オガティブから見上げると ネガティブに内在する いろいろなことが視えてくる
ネガティブを見下すのでは無い 見上げると そこには可能性があるような気がする
というよりは、どこかで なにかしら冗長領域設定というか ふざけていないと 頭が変になりそうになるというか。

こういう関連の 対話をちゃんとしてくれる人は少ないし。こんなことばっかし考えてると、ほんとーに人に嫌われちゃうのかもなーとか想う。
美術家(創作)というのは、ある意味で因業だともおもいます。自分自身で、「いや〜〜な」気持ちに陥って来る。閉塞する。卑屈陰湿な気持ちになる。自己卑下、自己否定、自己不審。
それらの自己嫌悪と格闘してゆく。

自分自身の体内の さまざまな放置された暗部や空洞や偏見や抑鬱を捜査する
まず、そのようなさまざまな無関心な存在を 自身で認めること。

活路の可能性

マザーテレサというひとについてぼくはまったく知らないが、「愛の対極にあるのは 憎悪嫌悪ではない。無関心だ」と言ってるそうだ。
だとすれば、「知ること」は愛だといえはしないか。それは、観察であり、デッサン力であるとおもう。