2015-01-01 06.37.52
あけましておめでとうございます


大晦日から元旦にかけて、界隈がとても静かになるのが好きです。車も少ない。
都市の一部はにぎわってるのだろうけど。ぼく自身も去年と一昨年は、年越しカウントダウンイベントというのをやってました。仲間たちと企画運営しているアートイベントです。音楽家、ダンサー、書家…いろいろな分野のアーティストが参画。今年は開催無し。理由は、たんに場所が無くなったから。場所が無いなら、まぁ、地下活動に力を入れようということ。「想い」が繋がり育まれている限り 場所(具現機会)は、必ず生まれてくる。箱の確保維持や形骸に重きを置かない事。想像/創造に大切なのは、実行力ではない。大切なのは、アーティスト個々人が観察力を磨き更新すること。別々の創作家らとの相互理解/疎通連携、その工夫と実践(具現主眼では無く)だとおもいます。個々の世界観/社会観の検討。対話。

そういう感じでアーティストたちは年末年始、イベント関連でけっこう忙しい。年賀状などの新年系デザインとかの依頼もあるし。都市型の祭事のようなこと。
と言いつつ、ぼくは、ダラダラ怠惰しております。
今年は、って去年か。2014年は年内に帰省して、母親と大晦日を過ごすつもりだった。けど、けっきょく無理でした。年末はバタバタいろいろ忙しかった。ぼくのような美術家は、個人自営みたいな感じなので、人との付き合いだけで成り立ってゆきます。生きるということは「人間関係だけ」と言ってもよいとおもいます。人が居なければ、芸術の意味が無い。ということに成ってしまうかもしれないけど。ここは難しい。自然循環が完璧なジャングル社会では芸術は不用なのだから。想像/創造は、いかなる社会においても成されてるのだけど。って言うと、きみの云う「芸術っていうのはなんだ?」とか 問われてしまうのだろう。そういったことも、少しずつ46で、考察披露してゆきたいと想っております。

「都市だからこそ芸術が必要」という想いもあります。社会内における自然循環の獲得のために。その思考のきっかけ、というか。現行の再考というか。
都市をジャングルにするということではなくてです。経済社会(資本主義)と主張するのであれば、金銭が「ちゃんと」貧乏な人たちにも、あたりまえに自然循環する模索工夫を提示してゆくようなこと。貧乏人たちの背伸びに依存した国家成立ということでは、イマイチだと想うから。イマイチというか、なんだか カッコワルイというか、恥ずかしい。あらかじめの犠牲定数が国家予算に考慮(規定)されているというか。じゃあ、税金や選挙は、なんなんだっておもう。国民個々の「想い」は、どこに具現するのか。ぼくらの希望や理想は、都市の居酒屋でワイワイして忘却の彼方か。だから、忘年会なのか。
ぼくらは、なにも「忘れない」。2014年を忘れたりしない。311も忘れない。
記憶しながら、今を生きる。
「記憶は糧」だとおもう。

そして、風邪をひきました。帰省準備したいけど。さっぱり、ダラダラです。
ぼくは、高卒で関東に出てから親と年末年始を過ごせたことが あまり無いです。盆と正月くらい家族親族で過ごすのが「日本」の常識とか親孝行なのかもしれないけど。フリーで仕事をしてると、なかなか時間がうまく創れない。フリーは暇人のように想われるけど。学校の先生をしていたころのようには、「休日」というのが確定的ではないです。「自由業」というのは、実社会との関わりが増加するので、実はONとOFFが、自己調整しにくいです。創作家らは、「公私合一」という感じ。しかし、公私混同せずに 生きてゆかないと社会内で破綻してしまう。そこらへんのバランスとハーモニー。一般社会概念との擦り合わせ。その経緯の中で、仕事の資金も生活費も工面してゆくこと。それが成せなければ、社会で孤立閉塞してしまう。仕事どころではなくなってしまう。そうすると、たいがいは、生きるために「自分の仕事」を放り出してしまう。
そこで、自己壊滅を恐れずに「狂気」に没入してゆける人は、ほんとうに希有だとおもいます。しかも、狂気によって、創作仕事が成るかというと、それは、わからない。「自分の仕事」から逃げずに狂気する人でなければ、いい作品は創れない。

まったく、日本社会は、難しい。めんどくさい。
「ちょっとずつ発狂する」「ちょっとずつ自殺する」…聞きかじりのドゥルーズみたい。そんなに都合良く 社会を泳げるものだろうか。

新年早々、大仰ですいません

2015-01-01 06.38.32