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ぼくには、人と共に居る時間をお互いに楽しむことくらいしかできない。
これで、親孝行と言えるのだろうか。
しかも、離ればなれで、年に何回か 一緒に居ることが成せるだけです。ほんとうならば、共に住むのがよいのだろうけど。十代後半に関東へ出稼ぎに出たままうだつが上がらず 故郷に帰ってこない放蕩息子という感じか。

母親の晩御飯をつくりました。

 

つばす(わかし)福井県産 モンゴイカ スリランカ産
鶏肝、大分県産
ジャガイモ北海道産
タマネギ 淡路島産
きゅうり 岡山産
黒枝豆 丹波産
紫蘇 大分県産
ニンニク 岡山県産
生姜 高知県産
カイワレは岐阜県産
以上は、徹底被曝回避素材です(笑)

自作の皿に盛り付けました
イカは 花盛りにしてみました
紫蘇を切って組み合わせて花の葉っぱのように配置しました。

 

母親は、いろいろな食べ物が、少しずつ乗ってるようなのが好きみたいだ。楽しいみたい。幕の内弁当とか。

モンゴイカは、粘りが強くて、花盛りにすると一体化してしまって、食べにくいことが判明。

買い物は、すべて 母親の年金によって成されています。
ぼくの収入では、買えません。

ほんとうは、次の日、母親は、食べ過ぎの為の腹痛で起きれず。それから一日半、絶食しました。暖かいお茶だけ。それから、重湯を飲んで。それから、オニオンスープをつくりました。
黒豆を何回も おかわりするし。一個だけ皿に載せて渡すと「いじわるをするな」と言うし。

 

母親は、幼少のころ、正月に成ると兄姉らから「餅は、いくつにするか?」と毎度問われ、いつも「五個」と応え、兄姉から食えるはずがないからやめておけと言われ、それでも「五個」(大人と同じ個数)を要求して、けっきょく、毎年食べきれなかった。兄姉は、おもしろいから毎年からかっていたのだけど。
その兄姉らもみんな他界してしまった。

ぼくは、母親の人生の聞き取り記録をノートしてるのだけど。なかなかすすまない。
つい、共に居る時間を そのまま楽しんでしまう。楽しむと云っても、それはほとんどたいした変化のない なにもしないような時間なのだけれど。人が生きてゆくうえで とても大切なことのように思う。