1312海の魚ハガキ

白地に青を重ねてゆく
半乾きで 次をの青を重ねる
筆をやや寝かせ気味に魚の厚みが見えたところで 描くのをやめる

 

「青が さかなになった」ところで

魚が白地(背景)に戻りゆくのを 重なる青が引き止めている
拘束しないように 活かして
そうすると 画面のときは とまらない

画面上を人力に移動する筆
技術は、そのときどきに編み出されるというのが善いとおもいます
都度 必要に応じて 「どうだったかな?」と思い出すように。技術ばかりを 多数習得していても 必要なときに いったい「どこ」に記憶しているのか見つからない。
探しているうちに 別の引き出しを開けてしまって 要らない技術に振り回されてしまう

習得した「技術の為に作品をつくる」という閉塞スパイラルに陥る

今 此処で まさに必要な技術だけが 編み出されるのが ベスト
シンプルな絵画が 立ち現れる
それは 要素で描かれた作品では無い想いが呼び寄せた技術パソコンだと うまくゆかない
技術を覚えているのは「自分」ではなくて機械だから
そもそも 描いたことを無かったことに出来るという事が 納得ゆかない
手作業に「ゼロ」地点への帰還など ありえない現在の美術家たちは、技術修得者が溢れている 道具コレクターもたくさん居る

技術を知っていても使い場が無ければ 意味価値が無い
「技術」のために 原発社会をつくっても意味が無い
「人のため」に社会を創り育むのが まっとうではないか

持ってる技術を 使わねば損みたいな…。貴重な歴史建築を破壊してビルを新築してしまうのも。技術を使うために国つくり街つくりをしてたら 変だと思います。技術技能の金儲けというか。スキルやツールが有るから 起動する、みたいな。あらゆる免許や資格についても。だから学歴も。

「必要」は いま 此処に生まれるもの
「必要」は 市民の側にあるものだと思う

 

二度目は 飽きて 描けない

 

    ◆

 

いつも新鮮というよりも

 

ぼくは 忘れっぽくて 記憶力が悪いだけだろう

 

    ◆

 

自己鼓舞していると いつも大仰に成ってしまう

 

    ◆