落ち込んだので 寿司を握った
◆
だから どうなるとかいうことでもないが
思考を一端区切ることができる
◆
低迷からの脱皮ということではない
生活の向上とかそういうことでもない
失速からの逃避ではない
なにごとも無かったことにしないために
創作をつきつめて展開してゆくと 形骸(もしくは概念)からの離脱をしてゆかねばならない。そうすると、創作家の思考の日々というのは、どうしても現行の社会性から乖離してゆくことになる。一般の社会常識とは、「生きる」のリズム(内容)がぜんぜん違ってくる。
これは、もう、しょーがない。創作と云うことの性格上。
さまざまな周辺(条件)は、それを なかなか許さない。
せっかくの偏向は 「何か」(たとえば芸術)と出会わぬまに 崩れ去ってゆく。
強固な意志決定には 至らない
◆
中空の バランス領域を探る
はざまに住む
世間の落し物に注目する
無関心に 向き合う
廃棄されているものは 同士
隔たりに潜む
境界領域の広大
忘れられた位置と 語らう
◆
もういちど 起点から
◆
ううーむ、うつくすし。
ねこさん こんばんは
いつもありがとうございます。また ゆっくり お話したいです。
◆
ぼくは、創作仕事が四面楚歌に落ち込んでくると「すし屋ごっこ」を します。独りで(笑)。
「一人二役」です。声を出しながらやると、ほんとーに、アホらしいやら、マヌケやらで…おもしろいですよ。
芸術家以前の低次元で発狂してるんじゃないかとかおもう(笑)。でも 現行社会の中での創作家としての「自己統合」の有効な手段として やっています。って、自分で 書いていて 恥ずかしいです。すいません。
◆