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むかしむかしの ちいさなくに
ひとびとに想われる女神さま
宗教というようなものではなく
ただ ひたすら慕われていた
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おどろくべきことは、
これらの装具類は、すべて陶でできている。ということ。
「どうして?」ということもさることながら
「なぜ?」ということを 考えている。
今、現在に 少しも破損せずに その輝きのままに残っていることができたのか。
それは、たぶん「陶」だから。
無常な素材である土の作品だからこそ、生きたのだと想う。
人の想いと手によって 意図的に 大切にていねいに継承され「残されて来た」
【想いのつながりの証】
だから、
今日まで
ぼくたちは「知らなかった」。
もしも「純金の作品」だったら、いまごろは、超金持ちの所有か、某帝国博物館とかに収蔵されていたことだろう。
恨みや憎しみに曝されたら、あっというまに、壊されてしまったことだろう。
だれにも、嫉妬されることなく、愛された そういう女神さまが ある小さなくにには
神のようではなく 象徴のようなものでもなく 民の身近に
「ここに いるよ」みたいな 感じで
いまも 身近に生きてる いっしょに
すぐ それぞれのここ
そういう 女神さまが いる
感じ想うから 居る みたいな
そして「あれこれ あーだこーだ」と 考えるから
「まさに いる」
空想や妄想の 「リアリティ」
想いの その深淵から持ちかえる なにかに気づくこと
空想や妄想を禁止しない
偶像は、各人に イメージされてゆく
それぞれの各人の感性や想いによって変化している それぞれの人たちのそれぞれの神々
個人個人の価値観が了解されているという社会性と社会観
「(ひとびとの想いには) やさしい女神さまがいる」
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