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ぼくが、いままで参画してきた
【「個人宅」での展覧会やアートイベント】は、ほとんどが「当日のみ」という感じでした。個展の場合もあるし、ほかのジャンルのアーティストと一緒に開催することもありました。
長期の場合は、居住者本人の自由意志によって運営コントロールされるという感じ。
一ヶ月以上に成ると、ほとんど常設/備品のような状況。「作品レンタル」と、ほとんんど変わらない状態に成る場合もあります。商売をやってる人の場合「店の飾り」みたいに落ち着くこともありました。ずーっと前から そこに在る、みたいに馴染むというか。
作品が、あまりに愛されてしまって、搬出できなくなったこともあって、いくつかの店には、いまも展示されています。
返してほしいと言い辛くなる、と同時に、作品もまた、その場に居たそうに視えるのだった。
こちらから、帰って来いとは、言いにくい(笑)。
そのような経緯を振り返って考えてみると、
どのような企画(想い)を「展覧会」というのか? っていう巾みたいのが、無限に広がってゆくような気がする。もちろんよい意味で。
日々の生活現場は「日常生活なのか、アート(イベント)なのか」みたいな感じ。
社会生活を営む時間の「豊かさ」みたいなことに繋がるのかもしれない。
一方では、【「巡回展」】というのを開催していました。
それは、「作品詰め合わせパック」が、宅配便で個人宅に届く。作品群を受け取った人の自由意志で、ぼくの「個展を開催していただく」という展覧会。開催期間や場所は、問わない。野外でもよいし。演出、プロデュース、すべて「おまかせ」です。
そして、開催期間が終了したら、次の人(場)へと送られて次々に巡回して行く。メッセージブックが同梱されている。そこに展覧会風景写真や状況日記などが、それぞれの展覧会の企画者によって描かれてゆく。
つまり、パックを受け取ったかたが、美術館のキュレーターのような気持ちで展覧会を演出しつつ、また、次の開催美術館へとツアーを繋げてゆくということ。
それぞれの開催地では、作品がコレクションとして買われてゆくこともありました。
アーティスト宅の巡回便では、作品が増えたり交換されながら巡回してゆき、徐々に内容が変化しながらグループ展のように成ってゆきました。
次の開催場所が決まらない場合は、ぼくの工房に戻って来る、という感じ。常時、何個かの「作品パック」が、全国のどこかを巡回していて、どこかで展覧会が開催されてるっていう行為芸術。
突然に届くのでは無くて、あらかじめ了解をしていただいたうえで送ります。梱包作品内容は、ぼく自身が決めてました。
巡回展開催を想いついたのは、
当時作品をかなりの勢いで創ってて、工房に保管しきれなくなってきて、自分自身の居住的居場所が無く成ってきてて。作品の置き場所が無くて庭にまで置いてて。
どうしたものか? って考えてて。
新たに場所を借りることも成せず。
とにかく 「作品を工房空間から出す」必要がありました。
で、
「巡回展」を 開催してみようと想いつきました。
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その巡回展の発展型が、海外へ展開する「T.OGATA 作品拡散プロジェクト」です。
海外への旅行者に依頼して、作品を持って行ってもらう、これはと想うかたへここぞというときに渡してもらう。
なので、ぼくの作品展は、いろんなところで開催されてたり、作品はいろんな人がコレクションしています。
が、
それが、「どこでだれなのか」は、正確に知らないです。
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そのような小規模な展覧会を含めると、個展開催回数は、百や二百では無いです。もう、むちゃくちゃな数に成る(笑)。
現在の作品の有る場所も、コレクターも、わかりません。
まあ、個展開催の回数や 客員動員数は、それぞれのアーティストの実力や意味には、あまり関係無いとおもいます。
たしかに経験値は、大切だとおもいますが、展覧会回数や動員数は、経験値とは云えないから。まあ、たくさん売れるということも、関係が無い。
アーティストにとって大切なことは、いつも想像に生きていることだとおもう。
もしも、評価される意味があるのであれば、そこだろう。
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生活費、研究費が無いということは、アーティストにとって切実な問題ではある。
現行の日本社会においては。
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