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この作品は、わりと制作難度があります。
粘土は柔らかいので、真っ平らとか直線を表現するのが、むずかしい。もっともむずかしいのは、土で薄く創ることが難しいです。
絵の具のように壁や画布に 土を薄く塗り込むならカンタンなのですが、立体作品として薄く自立さすことが 難しいです。
薄いと乾燥の段階で 歪むことがあります。室内の空調の具合で形体が変化することもあります。
まず、薄い板を粘土で創るのがむずかしいです。
素材としての安定感のある薄い粘土板。
ぼくは、よく「むずかしい」と書いていますが、正確には「めんどくさい」とか「億劫」という意味です。
むずかしいと云うと、なんだか専門的なことをやってるみたいだけど、それは違います。集中する時間さえあれば だれにでもできます。
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ぼくは、土を素材に使って薄い作品を連作していますが、
土で薄く創ることは、あまり実用的な意味が無いとおもいます。土は、薄くすればするほどに強度が弱く成りますから。保温性も弱く成るし。
薄く創るならば強度的には磁器土を使用するのがよいとおもう。あるいは半磁器。
しかし、逆に感じてみるならば、
土で創ると、どれほど薄くしても、素材としての温もりは有り続けるということ。ぼくは、そこに期待して「土による創作」を続けています。
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薄く創るのは、器の中に入っている 飲み物の重さが直に体感として伝わってくるからです。もっと云えるなら、器は無くていい。理想は「手のひらに 飲み物が収まっている」という感じです。指先に液体が 乗っているような。液体を 手で持ち上げるような感じです。
なぜ そのようなことを感じたかと云うと、
以前に海に行ったときに 海が本当に美しくて 真っ青で
ぼくは、おもわず その青を 手のひらですくおうとして
なんども 海水を てのひらで すくった
青を 掴もうと
だけれども ぼくの指の隙間から こぼれ落ちる海のみずは どこまでも どこまでも 透明で
ぼくは ついに 「青」を 手中に 収める事は成せなかった
青の 印象
獲得したイメージと 青への羨望と期待 それは 止まらずに 生きている
重層する透明に 太陽の光が参加すると 青になる
海も 大気も
ちょっと はなしは ズレていたとおもうけど
直に ダイレクトに 飲み物を飲むこと
飲み物と自身との その間に介在する実際の「器」は どういうのが いいかなあと 想うことが よくあります
動物たちが 泉にて 美味しそうに飲んでいる 器を使わずに
動物たちの その行為は 飲み物を素手で掴み取ることに 似ているとおもいます
ぼくたちは 器をつかう
ならば いい器を創りたいと ぼくは おもいます
ということで
あらためて
「道具を使う」ということを 思考したいとおもって 器を創り続けています
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海水の青をすくったのは ロンボク島でのこと
20年以上前。
そのころの ぼくは 旅に期待希望していた
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このカップは まだ 万全では無いです
創作への自己の緊張と集中力が足らない
自己解放のリラックスを維持しながら 同時に緊張感と集中力が 継続更新できなければ 納得ゆく創作は できない感じです
そういう状態は 五年前くらいから 獲得できていないです
でもまあ
ちょっとずつ いい感じ ほんとうに ちょっとずつ
喪失や下降は あっという間 すぐだけど 体勢を取り戻すのは たいへんな期間が必要
しょうがない それは
もしも、同じ技術技法を実行できたとしても
更新は成されない
むずかしい あと 薄いと口当たりがよいです