◆
実用性は あまり考えずに 空間バランスを模索する
器の形体と取っ手の関係による ハーモニー
今回は、厚みによるバランスは無視
シルエットを重視 大きさによる存在感の差異と
輪郭が空間を どのように切り取るか とか
さくひんを並べてみると やろうとしていることが ちょっと みえてくるとおもいます
ある意味で インスタレーション作品
乾燥粘土は 焼成しないままが美しいとおもう
◆
ろくろを使用しないのは 同心円による均一円周形を回避するため
視覚で「円」を形成する経緯で 集中力を高めることが可能となる
創造が「慣れない」ことが大切
同じ作品を創ることができない条件下に 自分の意識と感性が居続けるための工夫を加味してゆく
◆
自己内発による想像創作なので、自分で条件をさまざま工夫してゆかないと 関心のモチベーションを維持できない。
心身が諸条件を受領してくると
さらに 条件を加味して 創作ハードルを高くして行く
「もっと薄く創る」とか「不安定感に向かう」とか 創造時に自身にかかる緊張度を増やす
自分の設定した条件が難しすぎて超えられないときが たびたびある
数年前に成せたことが 今は、まったく不可能だったりする
技術力というよりも「やる気」「本気さ」の問題 まぁ それも実力/能力
今の自身の能力で成せるところまで 立ち戻って そこからスタートするしかない
毎度 そういうことの繰り返し
途中経緯をすっ飛ばして 技術や道具に頼ってつくると 形骸はすっかり合致しても 作品が生きていない。これは みるひとがみれば すぐにわかってしまう
そういう 癖が身についてしまうことは 創作家として よくない
そのような結果を どれほど複雑に組み合わせたとしても 形骸のバリエーションにすぎない
エベレスト山頂に ヘリコプターで降り立つ感じ というか…。起点とゴールの帳尻合わせでしかない。まるで「買い物」のようだ。
創作は 自分で歩いていって 歩いて此処に還ってこないとならない。
創作は、鮮度のある体験記。
◆
器の場合は 依頼主のことをいろいろ想うことによって かなり脳内イメージが立ち上がる
それは「本人」という ナマな物語がすでに現存しいるから
だけど、
彫刻作品創造の場合は、物語をまず空想してゆかないと イメージが像を結ばない。
◆