2015-10-28 09.49.14


実用性は あまり考えずに 空間バランスを模索する
器の形体と取っ手の関係による ハーモニー

今回は、厚みによるバランスは無視
シルエットを重視 大きさによる存在感の差異と
輪郭が空間を どのように切り取るか とか

さくひんを並べてみると やろうとしていることが ちょっと みえてくるとおもいます
ある意味で インスタレーション作品
乾燥粘土は 焼成しないままが美しいとおもう

ろくろを使用しないのは 同心円による均一円周形を回避するため
視覚で「円」を形成する経緯で 集中力を高めることが可能となる
創造が「慣れない」ことが大切

同じ作品を創ることができない条件下に 自分の意識と感性が居続けるための工夫を加味してゆく

自己内発による想像創作なので、自分で条件をさまざま工夫してゆかないと 関心のモチベーションを維持できない。

心身が諸条件を受領してくると
さらに 条件を加味して 創作ハードルを高くして行く
「もっと薄く創る」とか「不安定感に向かう」とか 創造時に自身にかかる緊張度を増やす

自分の設定した条件が難しすぎて超えられないときが たびたびある
数年前に成せたことが 今は、まったく不可能だったりする
技術力というよりも「やる気」「本気さ」の問題 まぁ それも実力/能力

今の自身の能力で成せるところまで 立ち戻って そこからスタートするしかない
毎度 そういうことの繰り返し
途中経緯をすっ飛ばして 技術や道具に頼ってつくると 形骸はすっかり合致しても 作品が生きていない。これは みるひとがみれば すぐにわかってしまう
そういう 癖が身についてしまうことは 創作家として よくない
そのような結果を どれほど複雑に組み合わせたとしても 形骸のバリエーションにすぎない

エベレスト山頂に ヘリコプターで降り立つ感じ というか…。起点とゴールの帳尻合わせでしかない。まるで「買い物」のようだ。

創作は 自分で歩いていって 歩いて此処に還ってこないとならない。
創作は、鮮度のある体験記。

器の場合は 依頼主のことをいろいろ想うことによって かなり脳内イメージが立ち上がる
それは「本人」という ナマな物語がすでに現存しいるから
だけど、
彫刻作品創造の場合は、物語をまず空想してゆかないと イメージが像を結ばない。