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さすがに でかい!
会場もだけど 心意気も大きいのだろう
ぼくは、情緒的な作品が好きなのだと あらためておもった
表現のメッセージ性については 考えるのだけど
海外のアート大会に関心が薄れて 何年にもなる。大会っていうのは変か。
たとえば、ドイツは、何人か知人がアート活動をしていて ぼくの仕事場にも 以前は来訪していました。ドイツ人のアーティストも此処に来ていました。ダンスや映像やパフォーマンスや さまざまなアート表現について たくさん語り合っていました。
当時 ぼくはカナダのアーティストと活動を共にしていました
その後 ぼくの作品は どんどん小さく成った。それは、「ぼく」そのものが萎縮していく経緯だったのかもしれない
当時は かなり強烈に行きたいとおもっていたドイツに 「行こう」という気持ちも薄れて行った。
そのことは、ドイツがキライになったわけではないです。好きだし あちらで活動している人たちのことも好きだ。イタリアもイギリスもそのほかもキライなわけではないのだけど。連絡もしなくなりました。
ただ 自分自身のことをおもうと
なにか 今 此処から成せることがあるような気がしました
スキルの無いぼくは、ますます 小さくなって 地味だと 自覚するけど
視野が狭くなった ということだとおもう
さいきんは、近所のことすら よくしらない
自分の仕事場で なにが起こってるかも把握していない
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