2015-08-01 16.02.49


間に合わなければならない作品を 優先的につくっています
いま、「創らねばならない作品」。

頼まれていることが たまっているのですが
それでも 途中で頼まれたことが優先されなければならないようなこと(事情)が起きる。
なので、それよりも ずっと前に頼まれていたことが また 後日の仕事になってしまいます。
作品を待っている方々には、なるべく、いろいろな仕事上の事情を説明していますが、待っていただくことは ほんとうに 申し訳ないとおもっています。もうちょっと 待っていてください。
かならず なっとくのゆく作品を創ります。きっと。「待ったかいがあった」みたいな。って、ほんとうに、そのようにおもっています。作品を受け取っていただいた方々の感想を聴いてるうちに 自分自身でも なんだか 自分のいまの仕事のすすめかたは 間違っていないような気がしてきた。

ほんとうは、頼まれた仕事よりも「自分の仕事」を優先するべきなのかもしれんませんが、当面は、自分の仕事を休みながら、頼まれ仕事を「ちゃんと」成すって期間。まぁ、自分の仕事は 休んでも とにかく 母親のことが やっぱり優先って感じの自分。阪神の震災から この20年間くらいの期間は、学びの時間。学びとかいうと じぶんで書いてしまってから、なんだか とても恥ずかしくなったけど、いま。いろんなことが 知れてくる。それは、まあ 個人個人の「ひとのこと」とか。
全体主義では どうしようもないところは 個人がフォローサポートサルベージしてゆくしかない っていうか。そういうと硬いかもしれないけど。やっぱし自発的に自力で「気づく」かどうかとか。それは観察力で。それは やっぱりデッサン力なんだと思うし。美術家の仕事と無関係では けっして無い。だから 視力を磨き鍛えたい、って感じ。えーと 意識の視力も含めての視力。イメージ力やシミュレーションも とても大切だとおもう。ちゃんとした周到な想像力があれば「原発など具現しない」はずだ。
とか、そのよーなことを云ったところで、自分は、そういったことを どうすることもできる立場に仕事をしてるわけでもないので、身近な範疇でできることを日々やっている。という感じ。
特に母親のことは、ぼく自身でなければ だれにもできないことばかり。母との想いは、金銭や契約では解決不可能なこと。行って会ってナマに向き合って「知る」しかない。お互いの感性がリアルに触れ合わないとならない。なので 一番に優先しているのだけれども。やっぱり、自分も社会人(美術家)として実社会の中で生きてゆかねばならないので、母親にだけ付きっきりで一緒には おれない。自分は 一人しか居ない。母親の元に居るためには、しばらくの期間は仕事を休まねばならない。しかし、美術家は ただでさえ現金収入が無いので、仕事は休まないほうがいいに決まっています。でも、自分としては、仕事よりも母親が気がかり。っていうか、仕事よりも 母親のことを だんぜん好きです。これは、もー、しょうがないとおもいます。仕事をサボってるんじゃ無いです。工房に居るいまも、母親のことが すごく気になる。すぐに会いたい。
まぁ、母親としばらく過ごしてると 仕事が気になってしかたがないのですが。
という年月が つづいています。

なんだか、話はスベって
作品とは ぜんぜん 違う着陸地点になってしまったかもだけど。

ちょっと 期間がほしいです
なにもかもが オーバーワーク気味になってゆきます
ちゃんと 確実に 一歩一歩 前に 進んでるとおもいます 微々たる

いまの日本は、
さまざまな人たちの お互いの違和を 相互理解によって 緩和/活路するような、たとえば「対話」のようなことが、社会に身に付けば、よいなあとおもいます。
2015-08-01 15.16.45      ◆