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ほんとうは、これではダメだ。
パイロットは、「考えている」から。飛行機は、もれなく 考えながら飛んでいる。ということ。
鳥は、飛行を考えない。眼下とのタイムラグは無い。考えてから翼を動かしていたら 墜落する。風景との同体。
妄想は、考えない。妄想は 狙わない。
まだ、妄想の深度がぜんぜん浅いということ。
いろいろな空想が 頭の中でいりまじっているから このような複合作品のようなのが 立ち現れてくる。
日常にあることと非日常。
「白いまち」には、お店のようなものなんか無い。
作品ではなくて、妄想の補完ツールのようなもの
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子どものころのプラモデルが実家から出て来たので 組み立てた。
商品化されているものは、パーツ割りされていて、組み立てるのがカンタンでよい。考えなくていい。
しかし、彫刻作品は、「創る」ときにこそ あーだこーだと右往左往考えないといけない。想像と創造。
「妄想」のニュアンスをイメージ化して、それをデッサンして パーツ割りして、組み立てないといけない。それから焼成。
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でも これは悪い方向ではないと おもいます。
あるていど ちかくまでは いけるかもしれない。
きっかけは、何だっていい ルートを模索開拓してゆくこと
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僕が子どものころ(小学校3~4年生が絶頂期?)、授業中に油粘土で飛行機やらロケットつくりに熱中していたものでした。当時の木製机の天板は、天地をひっくり返すと裏面が粘土細工用の板に変身する優れものであったので、天板の間から手を入れて半分手さぐりで粘土いじりをやっていたのだけれど、とうとう先生に見つかり、更には親に言いつけられて手酷く説教されたものでした。
プラモデル、箱を開けたらただのプラ板の束だけがでてきたらどうかな。
urikonoomakeさま
よい机ですね〜
でも 怒られたのは悲しい
おとなは いつも「研究」を怒るんだよな〜
ぼくも 絵画ノートを先生に没収されて捨てられてしまいました。絵を描くモチベーションが消滅してしまいました。学校生活もつまらなく成った。
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プラモデル買って、箱からプラ板だけ出て来たら、ちょっと怒るよな〜。素材は、ほかで入手できるし。量産製品は、中身が品質均一だからこそよいのだし。
逆に 創作アートの場合は、単品の「ばらつき」を いかに創ってゆくかが仕事の要だから、創作家らはなるべくシンプルな素材を求めるのだとおもいます。
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