「今夜は 演歌をうたってます」
と いうことになった
2015-03-19 13.06.53


女だてらに 男がすたる
されど 今宵は 武庫之荘 (リフ)

ぜんぜん わからん 意味不明だ(笑)
だれも 知らないうた

 

流行は 知らない
演歌もしらない そのばで おもいついたことを唄っているそうだ
だから 今夜 生まれて
今夜 はじめて唄った 歌

ぼくは カラオケにも行かない 夜中に行き場が無くなって行ったことはある
いままでの人生で 10回 行ってない

各駅停車しか停まらない駅名にしたかった(通勤急行はとまるけど)
中津は濃いすぎるし 神崎川だと ほんとうに演歌のようなので 武庫之荘を採用にした

女だてらにの「だてら」というのが、ぼくは前々から、どーもひっかかる言葉で、謎のことば。「女」という後にしか くっつかないのではないか?
まぁ、男だてらにとか 子どもだてらにとか、冒険家だてらにとか、旅人だてらにとか、美術家だてらにとか、言ってもいいとおもうけど、なかなか 使わないとおもう。
やっぱり「女だてらに」が、いちばんフィットするのではないか?
しかも、なんか、女性蔑視のようなニュアンスがある。それで、気になっていた。

で、
ここのところ数ヶ月、たまたま、友だちから「フェミニズム」の講習をうけてるので、「女だてらに」の後に「男がすたる」を くっつけてみました。

いわゆる、
たぶん、女だてらに なにか男みたいなことを 自発的にやってみたけど、自分の目指した目標ほどには上手く行かなかった。で、女にもかかわらず 「男がすたった」ことを 悔やんでいるわけだ。背負わなくてもよいはずの理想に敗北した 嘆きの唄だ。それを 声に出して 聴衆に(すなわち 男社会に)詫びているのだ。この国の家父長制は、根深い。
ことは、カンタンではない。心境フクザツな歌詞だ(笑)。

っていうか、
今夜は、ゴダールの映画を視てきました。
視ようかどうか迷ったけど、後悔しそうだから というより、今後に「視なかった」という邪念が意識下に継続するのは 精神的にめんどくさいので 視に行った。

なにもかも 片っ端から映画や展覧会を視たり本を買ったり取材したりできたら善いが、月収五万円だと、ほんとうに、厳選して創作の為の取材をしてゆかないと、仕事どころか、自身の「生きる」ための生活費が危ない。都内に出るだけでも、往復千円以上かかる。昨日までは、わりと近場でやっていたのだけど、昨日は、自分の仕事の想像のほうが多忙で工房から出るわけにゆかなかった。交通費の出費よりも、自身の脳の想像が中途で切られることのほうが、損失。まったく 美術家の仕事って、めんどくさいとおもいます。自分で「自分」がイヤになります。たまには、手抜きしてショートカットしてほしい(笑)。自分の脳の回路展開に「またかよ」「また、そこから考えるのかょ」「もー、いいじゃないか。次のシーンからで」「そこは、飛ばそう」って 突っ込みを入れたく成る。だけど、そこを 怠ると きっと ダメだ。具現は、過去を越す事はできないだろう。空想の脳内を 一歩一歩 確実に踏む。「そうだ、此処だ、前に 通った」その風景を体感で 自覚しながら 深層へ歩み入るのが基本。っていうか、ぼくのアカデミック(笑)。

ということで、今日、映画を見るしかなかった。明日は、イスラぁムの話を聴きにゆかなくてはならないし、そのあとは、海外協力隊へ旅立つ友だちの会に行かなくっちゃならないし。あさっても別件があるし。

まぁ、その映画が、「言葉」の映画で。ってことで、今、こうやって描いてるってことです。
今日の映画の言葉は、メモったのを抜粋すると 以下の感じ

世界のことを「森」と云う
自由が 疎外(断絶や対立)を生む
行なったことは、やらなかったことの「表現」
人間の目ではなくて 動物の目で (人や風景を)視ること(今回の作品では 犬)
自分の「自分」の通訳が必要
人の考えはわかる 自分以外のことは
平静を知らなければ 不安も無かった
妄想
宝くじ

そのような 言葉が 映像に つぎつぎに重なる

「実験」を作品にするためには、
編集で しゅーるに創らねばなとおもった。
あとは 言葉の威力で 「作品」にする ぃや 「してしまう」っていうか。ゴダールの 力技みたいなのを みたきがした。
まぁ、そうでないと 「実験」は、実験のままには、ふつうは視れないとおもう(共感はできないとおもう)。でないと「表現」はチンプンカンプンの露呈に成ってしまう。
それは、あらゆる分野の「実験」というものは、
あまりに私的に偏向したり あまりに専門的に偏るからだ。たぶん。

「新しい行為」に
古典的な概念や 一般社会の映画常識を バランスよく ミキシングする。

わりと おもしろい作品だった。
「まったく 意味不明だったら どーしよー」って 視る前は ほんとは 不安だった(笑)。脳裏と心身を支配拘束するような「理解不能の作品」だったら、衝撃で どれほどの日数を 自分が立ち直れないか わからんから。視て わかったから ホッとしました。

家具などが 美しかった
風景や室内の空間把握が 好み
作者の 風景や人の見方(距離感)が ちょっと わかった

映画のサイトは 以下
http://godard3d.com/

実験は、大切。こころみは たいせつ。それは 「いたづら」