自分を偽らず
自分に偽らず
関心を追求する 創りたいように
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作品は 媚びない
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アーティストは、ときとして素材に使える(森の声に従う)ことはあっても 道具(システム/楽器)の奴隷にはならない
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人間の『感受性』が攻撃され続けている。
どれほど形骸を身にまとっても リアリティは体感できない
空洞を残存したままに 抗鬱剤処方で あたかも再起するようなことを繰り返すのは危険だとおもう
解決しない空洞(抑鬱)は 爆発的な威力を埋蔵している その発露の道筋を 抗鬱剤(比喩として)が方向付けられるとは想えない
形骸に(社会概念の流布) 翻弄されない
システムに追いつかない「感性」を 待つ時間が必要
都市においては、時間を遅くする事
触覚の獲得には、思考が併走同伴せねばならない
感受の奪回(蘇生)には、考える時間が必要
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概念を脱ぎ捨て 真理を探求する
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都市部において 概念を捨てるのは とても怖い
神経組織を直接外気にさらして生活するようなもの。
ひきこもりや芸術が必要に成る。触覚の想像のために 森や海へ歩みいる
資本主義は、人間の「森への回帰願望」を攻撃している。
アートそのものが、解決策に成るとは限らない。アートそのもので、触れなかった「なにか」に触手することはできない 時間稼ぎ。考えるきっかけ。
実用的でないおもしろいことの想像 わけのわからない美しいことの具現 言葉に成らない魅力的な時間の提示
アーティストは 拘束されない 想いは解き放たれている
想いは触手を希求している 言葉に触覚が及ばない
想いのもどかしさに なにも追いつかない
わからない積み重なり 存在の希薄 見えない知らない人たちからのメッセージを受け取り続ける通信教育がテレビ
社会ビジュアルのスピードに便乗すると 形骸をまとってしまう 一生懸命に勉強すると「資本主義」を学んでしまう
あらゆるイメージが形を結ばない 言葉の空洞化 倫理の転倒逆転
理想のかたちは 個別性や階級を無視したまま 限定フィクスされてしまった
言葉はすでに奪われている スローガンでは なにも 変わらない
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蘇生する感性を成就させるためには ゆっくりした時間経緯が必要だとおもいます
それらを「買い物」や 賃労働で解決獲得しようとしないこと そこが実に難しい だから そここそを工夫実践してゆく
消費者に成る道程を学び身につけるのではなく 森への回帰を都市に実現してゆく
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現行日本に生きる人たち個々の偏向と欠落が、アート(想像/創造)に出会えたら、それは善い事だとぼくはおもっています。まぁ、アートじゃなくても科学とか冒険でもいいのですけど。現行の資本主義社会の中に生きるにおいて、ぼくは、世界観の探求や 愛や善意や良心が、偏ってゆくのはしかたのないことだとおもっています。その偏向が、もしも攻撃性に出会うよりも、暴力の発露に到達するよりも、願わくば「アート」に出会ってほしいと ぼくは想っています
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インパクトではない ショックではない
確かな 地味な 感触が鮮度をもって自らに蘇ってくること
攻撃や暴力ではない たとえば抱擁の希求
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