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ようやく 仕事場を「漆工房」へ変更中

梅雨に開始するつもりが、明けてしまった。
「やること」はたくさんある。だけど、なにもかもが、遅れてる。

漆を開始すると 粘土仕事は平行してできない。
漆工程は、埃があると困るし。そもそも、仕事場が狭くて 多種の仕事を平行して成せない。
仕事場そのものは広いのだけれども、作品たちが3部屋占領してるので 実際の制作場は一部屋。あと一室に計画用机が二個、そして寝床。

繕いの作品を並べた。様子を見て段取りを考えます。
同時に、「漆の扱い」について復習する。歳をとってから始めたことは、忘れやすい。漆は、工程の順番を間違えると、めんどくさい。

ならべて眺めて ちょっと ウンザリ
工程が長い。手間を想像するだけで メゲル(笑)。
金を蒔くまでできない作品がけっこうある。その続きは、また何ヶ月か後。

 

いつになったら「建物彫刻」を創れるのか?

陶芸器も絵付けも漆繕いも 今は 「やらねばならない仕事」
嫌いな仕事では無いが、肝心の彫刻を創れない。もう何年も。
缶バッジ制作で 生活資金を稼ぐよりは 楽しいかもしれない。いや、缶バッジも楽しいっちゃ 楽しいのだけれども(カンタンだし)。
う~ん、本業を放ったらかしにしてアルバイトばっかししてるような感じでもある…。アルバイトとは言っても現金収入には、なかなか繋がらないのだけど。

 

いろいろな技術ばかりが 身についてゆく(笑)
これは、あれこれ専門学校へ通って免許・資格ばっかし保持者に成ってる状態と同じではないのか?ぃや、それより 悪いかも。
定年退職して趣味で美術をやってる人たちのほうが、時間も設備も充実しているとおもいます。

自分で材料仕入れて 自分で考えて創って 自分で宣伝して 自分で売り歩く…っていうのが、わりと大変。知り合いの画廊がぜんぶ店じまいだし。

 

だけど、「46サイト」が 立ち上がって 大きく前進!
嬉しいです
人生 これから始まり 一歩一歩

「自分の仕事で自立する」…それは30年くらいでは 難しい。30年前の自分の予想(若者の思い込み)では、もっと早く独立できているはずだった。これでは、寿命が終わってしまう(笑)。
っていうか、急がば回れ、ということで、やっぱり地道にコツコツ行くのが いいのだとおもう。この速度ならば、自己反省が可能というか、「自身」の失敗や反省材料を見つけ易い。自力で基点に立ち返ることが可能。
というか、ノロマな怠惰愚鈍な自分に合ってる方法(生き方)というか。
自分が間違っているとしても、けっきょく、ぼくは地味な活動になる。…性分か。ぃや、老齢化してる、ともいえる。むかしは、もっと無茶をして失敗しても、自力で「基点」に帰還できた。
と書いたところで、いま、思い出しました。1989年制作の「彼方」という野外彫刻(借景作品)は、わりとむちゃな彫刻作品です。けっこう大きいので、グーグルアースで目視できます。ぼくの唯一のパブリックコレクション(兵庫県)。11月の植村直己冒険館イベント開催時に ぜひ立ち寄ってください。とか。
http://sculpture-japan.com/s1/0207/s.htm
ぼくは、無名美術家なので、そのうち強引撤去されてしまうのかもしれない。あー。そこで、反対運動せねばならない。反対っていうか生存。生存権。生まれたる創作の。たった50年で価値判断して どうするのか。なんのための「彫刻」創作なのか。兵庫県主導の「彫刻シンポジウム」の意図とはなになのか?
って、書いていて、ぁあ、あのころは、有無を言わせぬ文字通りの「彫刻家」だったと思った(笑)のだけど、それも、また、いまは、当時の自己と考え方(というか具現)が変わってきています。『彫刻』ということについて。
って、ぜんぜん話がスベってしまいました。
借景彫刻「彼方」については、あらためて 書こうとおもいます。

ひとつひとつ 作品を直してゆくこと
彼らを放っておくわけにはゆかない
蘇生
「繕い」は 創作だと おもいます

 

 

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