1210ひとひみつ銀座稽古

創作実践空間・スペース「にはたづみ」とは。
アーティスト有志らによって 3年間かけて 少しずつ立ち上げてきた創作の場です。
http://space-niwatazumi.blogspot.jp/p/blog-page.html

 

スペース「にはたづみ」というのは、プロの創作家たちの寺子屋みたいなものです。練習場ではなくて、常に本番に近い『創作実践集団』です。
音楽家、舞台芸術家、ダンサー、書家、美術家…など 分野境界無しの参画者たちで継続しています。

 

今の日本では、実社会においての「芸術家たち自身の練磨研究」が困難です。創作を練磨成熟させてゆく時間も同志との疎通連携も 創作実践研究室の確保維持も 至難です。
創作研究資金どころか そもそも 「生きる」ための金銭確保が至難です。

 

そこで、本気で創作と向き合ってゆける「社会現場」を創ろう って感じで仲間たちと立ち上げました。
すべての企画運営は、アーティストらの自発的ボランティアで成されています。

 

知名度や参加人数を増やすことよりも、相互理解・疎通連携を深めることのほうが重要優先でした。全員アーティストなので、個性がとんでもなくバラバラ(笑)。それでも、お互いを尊敬することによって、それぞれが「成せる範囲」の知恵を持ち寄って 「何とか成る」「何とか成る」と念じながら続けています。ぼくたちに無い要素は「無いまま」で とりあえず進めてきました。「欠落」、そのことによって 想像・創造に 個性が育まれてゆきます。「欠落」は、決してマイナス要素ではないということを、この3年間が、証明してきました。これらの実際体験は、アーティストたちの強みと成って身に付いてきます。
前向きに『創作』に向き合うこと そのことが 最優先です。運営が、参画者のだれかの創作(世界観)を侵害しないこと。アーティストが優先されます。

 

そして、社会に開かれていること。

規約は、硬めに書かれていますが、「創作家」の創作意志を尊重するために そのつど 対話を重ねてゆきます。
硬めに書くのは、さまざまな社会的な具体的障害を避けるためでもあります。アーティストに対しては、極めて寛大です。
ぼくたち「にはたづみ」は、数度の危機を乗り越えてきました。

 

「アートの内容・方向を深め広げながら、同時に現行日本社会に開かれている」という状態を維持することは、現実的にかなり難しいです。
窓を創り解放し 風通しをよくすることは大切。しかし、同時に、環境天候(現行社会)も 常に観察体感していなければなりません。そこで、さらに創意工夫することが大切。門をコンクリートで強化するとか 鍵を増やすとかではなくて…、そのような現行手段以外の方法を アーティストたちは 思考模索してゆくということであります。
創造は外気に解放されている しかし、アーティストたちは自由に 地を泳ぐ天然魚のように 創作を育んでゆかねばならない。その経緯で アーティストは さらに創作世界を独自に展開してゆくことができます。

「にはたづみ」は、前向きなアーティストたちの 創作実践の場であって、たんなる貸しスペースではありません。このことが、とても大切なことです。「にはたづみ」は スペース(実在)そのもののことではないということ。です。
「にはたづみ」とは、理念であり想いであり、情熱であり 誇りであり 魂であり なによりも ぼくたち自身(社会人ということ)のことです。
参画アーティストの個性も表現形態もバラバラだけれども「いい作品を創りたい」という気持は みんな持っています。創作への志で 強力に繋がっていくこと。
実体としての「スペース」は 創造の学びと研究の場です。たんなるイベント貸しスペースとしての利用は断ってきました。

 

ぼくたちには、資金は無い。しかし、かけがえのない友愛がある。そこだけが ぼくたちの強みだ。そこだけは、一歩も退いてはならない。
ピカソや岡本太郎も言ってるけど 「芸術家は 自分を売らない」。買収に対抗してゆける、強いアーティストを育んでゆくこと。特に日本では 大切なことだとおもう。バイトなんか(選ばなければ)いくらでもあるし。
だが、カネ稼ぎよりも、目を曇らさないことのほうが もっと大切。現行日本社会では、知らず知らずのうちに、意識も生き方も 本末転倒してゆく。初期の抵抗・離脱は、なんとか自力で成せるが、重度に浸透してしまうと、もう、自分だけの力では「真の創作」へと復帰できない。社会の誘惑と重圧は 強大だ。

 

そのような現実的な事情があって、
理念を理解共鳴してくださる方々からの支援カンパによって 運営が成されています。

    ◆
文化活動の模索実践ということは、実にめんどくさいというか、とにかく、すべてが新しいこと。既存・概念をなるべく回避離脱してゆくのだけど…。探究の道程は 進めば進むほどに 立ち現れるさまざまな障壁との対峙 これを億劫がっていたら 日本での芸術家の未来は無いに等しい。


「にはたづみ」というアート状況の存在を紹介したいという気持もありましたが、「にはたづみ」自体が、まだまだ未熟で、広く紹介する段階ではなかったです。
だから、まあ、秘密では無いですが、積極的に広めていませんでした。これからも、宣伝広報などに力量を転化する気持は まったくありません。

 

ぼくたち「にはたづみ」は、知名度を上げたいのではないです。
ぼくらは、よい作品を創りたいです。優れたアーティストに成りたいです。実社会の中で それを実行してゆくこと。
実社会での さまざまな発見を 想像・創造へ 繋げてゆきたいです。

 

市民が 楽しみながら おかしみながら 実社会を創り育んでゆくこと
少しずつ 少しずつ です。

 

アーティストも 一人の市民 一人の社会人
社会人と云うのは 金銭を稼ぐことが使命ではないとおもいます。少しでも「善い社会を創ろう」と 想い願う人たちが もれなく真の社会人だとおもいます。

 

だから、たくさんの命が生きていて たくさんの個性や想いが 活きてくる
それが 社会の基点 基本だとおもいます。
ですから、アーティストだけではなくて、すべての 人生は 想像的・創造的だと おもいます
社会は、市民たちが 想像・創造してゆくものだとおもいます。

アーティストという職業は 一生かけて成ってゆく仕事
社会というものも 一日一夜で 成るものではないとおもいます
少しずつ 少しずつの 創意工夫の積み重ねだとおもいます


添付写真は、某日の 「にはたづみ」創作研究風景
ぼくは、このときは演出補佐のようなことをやっています