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窯場へ行ってまいりました。
釉薬をかけました。これから本焼きです。

少し期間がかかります
陶芸教室の展覧会終了直後のため、窯に入れる生徒作品が何も無いならです。窯は、なるべく沢山の作品を入れて焼成します。そのほうが焼成高熱費が安くなります。
5月末に 窯出し。

窯に行く日、特に本焼き(釉薬)・窯入れなどに行く日は 特別な日という感じ。新鮮です。これは、毎度なのですが。とても久しぶりの気持です。正月みたいな感じというか…。
作品の規模内容云々ではないです。ぐいのみ一個を焼成するための日だったとしても、たぶん。

 

窯へ行く日は、仏壇と神棚に手を合わせてから向かいます。
儀式というよりも けじめみたいなかんじ。
ぼくの仕事場には、仏壇というのではないけど、先に他界した仲間のハガキとかが貼ってある壁がある、これが仏壇のようなもの。別の壁面に 神棚を創ってある、こちらは、てきとーな自作。

 

たまに、壁と話してることがあります。
変です。頭が変みたい。
だけども、そのようにしないと 自己統合が難しくなってくるときがあります。長期の創作のときとか。うまく言えないですが。自問ではダメで…。しかし、旅の併走者は居ないし。此処まで来て帰るわけにはいかないし。みたいな感じでしょうか。

 

美術家という仕事は、タイムカードとかが無いので、いつも公私合一のバランスとハーモニーの維持と更新。それが崩れてしまうと、とめどなく奈落とか怠惰とか、ほんとーに あっというまです。ダメになるのは、すぐです。そして、いったん堕ちると、立ち直るのは、すごく期間がかかる。っていうか、現在 ここ数年 ぼくはかなり堕ちてるんですけど(笑)

 

公私合一だけれども、公私混同してはマズイ。だから、そこかで 工夫して「けじめ」みたいな箇所を設けないと 現在地みたいなのが わからなくなる。気持ちが。
一般社会の規則やルールは通用しないし。外周に合わせるのでは無くて、自分自身で 『自分「時間」感覚』を把握してゆかないといけない。「ON」でも無い「OFF」でも無い…だけれども 自分がどこで何をしているかを 感覚的に体感してる…みたいな。自分の意識世界の中の「どこらへんに居るか」みたいなこと。
そういうことが自覚できていないと、一人で長考したり偏屈になったりすることがブレてゆく。せっかく、見えかけた奇妙な方向性が表層化してゆく、というか。いつもと違うように見えた新鮮な日常が、冗長に同化してしまう…というか。ぜんぜん、うまく言えてませんが。すいません。

 

そういうときに
先に旅立ったともだちたちと それぞれに 近況を語り合ったりします。

 

そうしていないと 社会の愚人「美術家おがた」は ダメ感に 押しつぶされてしまって、敗北感劣等感に満たされ 自己否定で なにもできなくなってしまう。今此処は「奈落なのか 途上なのか?」そういうことが認知できなくなるような感じ。夢も希望も自身で否定破棄してしまう。人が怖くて話せなくなってしまう。会えなくなる。電話も出れなくなってしまう。
カンタンに云うと「自分がダメ人間であることが 不安に成る」ということ。
現行社会の誘惑に負けて バイトニュースを買ったりしてしまう。なんとか「売れるもの」を創ろうとかおもったり。
本来の 仕事や 社会的責務を すっかり 忘れてしまう。

 

って
また 大仰で すいません

 

 

 

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