大仰なタイトルだけど、いまから書く内容は大したことではないです。

対話しながら 少しずつ共通の言葉を獲得して行く。言葉っていうか意味の了解か。
ぼく自身が、いつもコミュニケーションの限界みたいなのを感じていて。ぼくは、なにも解ってないというか。人のことを知らない。自分のことも うまく伝えられない。長らく知ってるはずの人のことも、あまり詳しく知らなかったりする。
表現が得意だから「表現」の仕事をしているのではなくて、苦手だから、いつも考えてしまう。そのような考えの少しが作品になる。

添付写真二点は、「しりとり絵画」のようなものです。二種。っていうか、二方法。
かつて、劇団に参画していたころとか、いろいろな人たちと出会うので。ちょくちょくメモ帳とかにやってました。まー、暇なときにやるって感じです。打ち合わせの合間とか。
ちょっとした遊びなのですが、お互いが けっこう没入することもあります。

★A「→」で繋がってるのは、いわゆる「ことば」のしりとり。「りんご」→「ごま」って感じです。徐々に、私的な内容に展開してゆきます。仲良しや同業とかと一緒にやると、私的/専門的に偏向して他人が視てもサッパリわからない内容展開に成ります。
★Bもう一方の添付は、絵画的「しりとり」です。ビジュアルにゅあんすを交替で描いてゆきます。相手の筆跡を活かしたり、逆に相手が描こうとしているテーマを あえて別物にしてゆくようなこともやります。相手が花を描こうとしてるのに画面を妖怪にしにしてゆくとか。
慣れると、飽きたり「コツ作業(定石手順)」に成るので、難易度を高くします。テーマを決めて「森」と「海」とか、森にちなんだこと、海にちなんだこと、などを交互に描いてゆきます。それは、心情的なことであっても政治的なことであってもかまわないです。「二項対立主義」の無意味というか、不確かさのようなものが、ビジュアルと成って立ち現れてきます。まー、なんだって いいです。暇にまかせて、わりとオモシロイ遊び。作画技術力みたいなのは、ほとんど関係ないし。
絵画「しりとり」は、A的であってもB的であっても、
老若男女どなたと やっても オモシロイ経緯に成ります。そして、遊びながら、実際に「絵画創作力」が身に付いて来る(ほんとかなぁ)。そして、双方、仲良しになれます(これもほんとか)。しかも、いい記念、思い出になります(どーか)。ちょっと 切なかったりもしますが(わからん。流れで書いてしまった)。
暇人の方々は、お試し ぜひ どーぞ!

みたいな感じ。

あと、しりとりではないけど、みんなで描くのは、
「連想ゲーム」みたいなのもおもしろいです。お題がある。これは、ナンシー関さんが、やってたのと同じ。
記憶だけで、鉄腕アトムとか、芸能人や政治家の顔とか、乗り物とか、描いてゆく。ふだんよく知ってるはずの日用品すら なかなか ちゃんと描けなくてオモシロイ状況に成ります。
また、記録資料を探します。
2015-05-21 13.55.13

2015-05-21 13.56.02