2015-03-24 16.39.42


文頭の写真は、実験経緯の一端。

日々日常の「観察と実験」の必要性についての説明は むずかしい。
美術家という仕事の性質が、「公私合一」(タイムカードや時間給などで拘束や雇用を区別できない)であるということの説明の難しさにも似ているかもしれない。

美術家たちは、観察(知ること)を「習慣」にしてゆく
というか、自然界に生きている動物は、観察と 「観察の意識化」が たぶん同時に行われてる。意識化とか理解とかいうと それは 違うかもしれないけど。

自身の世界観へ侵入する異物の「違和感」への率直な反応。それが「野生」。
そういうのを 意識的に自覚してゆくことが「観察」。っていうのが、人間の考え。
とか、言葉にすると、まったくもう めんどくさいのだけど、そこを、なんとか、もっと、どうにか うまいぐあいに 「記号化から回避」しつつ「野生」(本来の才能/本能)を活かしながら 生きれぬものか(共生)というのが、現代の世界生存活路の可能性。
って、すごく、カンタンに書いたつもりが、自分でも 難解だ(笑)。
言葉は、ダメだ。

『自身の世界観へ侵入する異物の「違和感」への率直な反応。それが「野生」。』と 書いたけど、
そういう意味での「野生」を 調教洗脳麻痺してゆくのが、資本主義の支配マニュアル。
だとすれば、体内の「疑問」の発生は、野生の奪回の起発。

日常の視野に 自身の「疑問を持てる」こと。それが 実社会に幸いを育む一歩かもしれない。

2015-03-24 16.39.12


玄関部に溜まった ゴミの山に 西日が 照射していただけ。反射が目を引いた、「美しい」とおもった。「西日」のありかたが。
室内に放置されたペットボトルは、日常生活の経緯によって徐々に踏みつぶされて平たくなって 捨て易く成る。だから、どうということではないけど。
文頭の写真は、「実験作品」の流れだけど、作品の成立ということが 美術家たちの本願ではないので、こういうことは、仕事のふつうの一端。物語への参考メモ。みたいなこと。
2015-03-25 05.31.41


赤いフリースに ペットボトルを並べてハロゲン光照射。
実験は あそび
いたづらのようなこと いいかたをかえると 暇つぶし

「暇つぶし」からの自覚(発見) その意味/価値は これからの実社会にとって とても大切だとおもう

2015-03-25 05.32.08