2015-03-15 08.48.52


自分の家を 掃除して片付けたら
自分の家がきれいに片付くのは当たり前。
それは、自分の家からゴミを外に出すわけだから。
だけど、それでは日本のゴミは何も無くならない。

ぼくは、以前は、断捨離のようなことをすすめられたり、家の掃除をすすめられたりして、そのたびに 自身の仕事の性質上のあれこれを説明してきました。
掃除する暇の無いぼくを咎めても 少しも日本社会は善くならないです。
そのことは、シンプルなわかりやすいことだとおもいます。

たとえば、
ゴミを1ヶ月 捨てなければ 自分の家がどういう状況に成るか?
ためしに、やってみたら善いと思います。かなり ビックリな状態が出現するとおもいます。
それが、今の実際の「日本の状況の縮図」だとおもいます。

いつも 掃除や片付けに追われている人たちには、人生が荒んでくることが体感として 理解できないと思います
しかし、その目前の状況のように 実際の日本は、荒廃してるとおもいます。ぼくは、おおげさにでは無く、そのように感じています。だけども、ぼく自身も けっきょくは、抵抗しかねて、最低限度の掃除をしてしまうことになるのですが。自分独りが、なにをどうしたところで、社会は変わらないなと、敗北を痛感するときです。掃除や片付けは「ゴミの事をすっかり忘れることができる」、魔法行為だとおもいます。

自分の家が ゴミだらけなのは まさに自分がガマンしたら済むことだと思います。
しかし、日本社会のゴミ問題は そうは言ってられないと思います。
日本のゴミや環境や 容器開発とかについて共に話し合うほうが有意義だと思います。自分たちの家や街や国からゴミを外に出して 自分たちのところだけを奇麗にしても、なにも問題は解決していない。

 

ぼくの親なんかは、廃棄してはならない貴重な和家具まで棄てて、
合成板の軽薄な家具を買って 家がきれいに成ったと喜んでいたからな〜〜。ほんとうに ガッカリです。素晴らしい茶箪笥とか。象眼の箪笥とか。いまも、感触を覚えています。ものを創る者としては、「ぜったいに守らねばならなかった」という使命の放棄の無念が残っています。物は、「助けてください」と 言えないから。知っている人が、気づいた人が、救わないと、貴重な物たちが どんどん破壊破棄されていってしまうと おもいます。建物も。そして 森も。物を買いすぎ、物を壊しすぎ、物を棄てすぎ。

ぼくの仕事は美術家なので、自分の家をきれいにすることよりも 美術の仕事に関心があるし どうしても仕事を優先してしまいます。

わりと高いモチベーションで仕事に向き合っていることを なかなか理解してもらえないです。
って、つまり、実力が無いということですが。

いずれにせよ 掃除なんか やってられないです。
ガマンできるところはガマンして、耐えるときは耐えてゆかねば 仕事に成らない
家のゴミくらい ふつうにガマンできなくては成らない と想っています。自分のダメは、自分がガマンしたら済む。

掃除は、たしかに気晴らしになると思います。しかし、ぼくは気晴らしがしたいのではなくて、仕事をしていたいです。いい作品を創りたい。
そのことを考えていたい。

ぼくは、掃除の専門家ではないです。美術よりも 掃除についてずっと優先的な関心があったら、ぼくは、もっと「掃除」や「片付け」について、想像的に思考して書くとおもいます。自身の抑鬱や卑屈(ネガティヴ)探査の旅路は、ゴミ問題や放射能汚染と向き合うことに ちょっと似ていると思います。


確定申告は、とにかく今日中に まとめること。
妄想が ぜんぜん入れない。表層を 遊んでるような想像しかできていない。

玄関が、いい感じに 大変に成っています(笑)。
外へ出れない、一回出たら、入れない。

くれぐれも 申し上げておきますが、ぼくは、散らかった汚れた家が大好きということではないです。やむを得ず、こういう状況に成っています。ぼくは、ぜんぜん我慢できるように成りました。
視るに見かねて、友だちたちが掃除や片付けをしてくれることもあったのですが、
台所や玄関や風呂場や便所を 掃除したり片付けてくれるのは、それなりにとてもありがたいのですけど、仕事場を掃除されると、なにがなんだかわからなくなってしまって、仕事が継続できなくなってしまう。せっかく並べた道具とか、順番道理に成ってる色鉛筆とか、広げてあるスケッチブックやメモ帳とかを 閉じられてしまうと もう仕事にならないです。書類もひとまとめにされてしまうと、ぜんぜん行方不明に成ってしまうし。妄想世界が、どこらへんまで行っていたかっていうことが、分断されてしまいます。かえって、仕事の邪魔をされてるようです。
それぞれの美術家によって、それぞれの世界観や、仕事の段取りがあって、そのときどきの作品のテーマによっても、経緯や順番が変化するし使用画材も変わる。そこを理解できていないと、なかなか、仕事を手伝ってもらうのは、難しいです。
絵筆も資料も キチンと理解しながら散乱(笑)しているのです。それでも 探し物をよくしていますが。
ぼくの仕事場の在り方を説明するには、少なくとも何日かかかるし、いきなり、仕事場に来ていただいて、掃除してもらうことは、難しいです。ぼくの仕事場は5部屋あるのですが、その85パーセントは仕事で使ってます。15パーセントが、私生活というか、一般的なところ。
だから、ふつうは、美術家たちの仕事場は、関係者以外立ち入り禁止です。46号関係者のかたがたは、そういうことを理解してくれて来訪してくださってるので とても嬉しいです。

 

ぼくの家を掃除してくれる人たちの気持ちは、ほんとうにほんとうに すごく嬉しいのです。大感謝です。だから、気分を悪くしないでほしいです。ぼくは、怒ってるんじゃないです。ちゃんと「仕事がしたい」、それだけです。
だれかが、掃除してるあいだ、ぼくが仕事を休んで ずっと注意深く見張ってなくっちゃならないなら、ぼくが掃除したほうがいいということだし。そのまま 此処に居座ってくれて ぼくの仕事の在り方を少しずつ知ってくれて アシストしてくださるならば いいかもですが。とうぶん ギャラ無しだし、もしかしたら 共に餓死するかもしれない(笑)。
だから、やっぱり、ぼくみたいな偏屈な者は、独りで仕事をすすめたほうが よいとおもっています。