1410オガエル掃除工房

一般世間では、

片付けるとか掃除するとか綺麗にするとか整理するとか…いろいろ言うけど。
ぼくは、日本人は「断捨離」で失敗をしているとおもいます。

石油製品というのは、何をどうしたって地球上から消滅しないのだから。
棄てずに、「此処」に保持していた方が善いということだと思います。
棄てると、けっきょく、海に溶ける。しかし、それは溶解ではなくて、何百年経過しようが、限りなく細かく成るだけで、やっぱり「石油製品」のままなんだよな〜。

だから、なるべく、
むやみに廃棄せずに此処に留めて人たちが しっかりと「ゴミについて」 考えるべきだと思う
極論を言うならば、
「ゴミと暮らす」ということ(笑)

自分の身の回りだけを綺麗にして暮らすのは、とても利己的だと思う。
人類は、少しは、ゴミを担当すべきだと思う

街の美化よりも 「ゴミの行方」
カネ稼ぎよりも 「金銭の流れの背後関係」に 市民は関心を抱くべきだとおもいます。

壊して廃棄して 新築して
人たちは記憶喪失に陥ってゆくのだと思います。

人間という動物の記憶構造を無視した自殺行為だと思います
「開発」は、進化では無く 荒廃退行だと思います

社会概念に従う事と 善い社会を創る事との関係が不明。
むしろ、社会は悪化するのではないか?

仕事場が綺麗か 汚いかは
優れた芸術作品や発明が誕生するためには、なんら関係ないしなあ。
ベーコンのアトリエも ジャコメッティのアトリエも 北斎の工房も すさまじく散らかっていた。

もっと言えるなら、
社会概念ではなくて、「森の民」に従えば善い社会になると思います。

森の民は、芸術も宗教も無しで、善い社会を育んでいる。
酒も飲まない。いつも綺麗にしている。そもそも、最低限必要な物しか持たない。
石油製品も必要ではないし。
土に還る物しか使ってない。
概念ではなくて、真理と共に生きている。

勤勉が 社会をダメにしてるんじゃないでしょうか?

学校も親も、「愛情よりも 金銭に」子どもたちの興味が向くように指導教育しているように思う。しかも、日本人らは、自分で稼いだ金銭を自分の為だけに使っている

買い物と廃棄の悪循環が蔓延している。
衣食住が自然循環している社会ならば善いが、
日本社会は循環が閉塞している。
金銭が自然に循環しないと資本主義社会は善くならない

ぼくの家(仕事場)は、
常日頃掃除してゴミを頻繁に捨てている家庭よりは、地球にゴミを出していないです。一人住まいだし、買い物も少ないです。生ゴミは、庭の森に還元しています。

つまり、ぼくの家は、ただ「散らかってるだけ」ということです。空間的に「見た目」ゴミが多いだけ。それは、日々の積み重ねで此処に「貯まってる」だけであって、決して、ほかの日本人よりも多くのゴミを環境へ排出しているということでは無いです。

此処を掃除して片付けることでは、地球環境が本質的に改善されることは無いです。

ゴミを此処から放出した分だけ 地球環境は悪くなったと自覚したほうが正当だとおもいます。

部屋を掃除しても 社会は善くならないです。
アーティストの仕事は 掃除をすることでは無いです。美化に気を奪われて、掃除に専念していたのでは、いい作品は創れない。掃除に気を奪われないくらいの想像への集中力が必要。

掃除がなぜいけないか?というと

たとえば、排除や粛清を「仕事」だとしてしまう人たちや国策が 生まれてくるから
戦争を仕事にしている人たちは すでに大勢居る

美術家は、掃除が仕事になってしまってはダメだ。
掃除をすると、なんとなく仕事ができてるみたいな気持ちに陥る。

酒は飲んでも 修行僧みたいな日々がベストであるとおもいます。

1410工房玄関1

実写です。
玄関部。毎度、外出の度に 靴を発掘しております。